「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(10)

(前の続き)
前回の話で、著者はゴルフスイングにおける物理的なコンセプトを伝える為に、以下の3つ図を使ってその物理モデルを提示した。



だが、この図面を見る事によって、半数程度の読者を物理的な意味で、ますます混乱に陥らせてしまう恐れがあることも補足しておいた。


今回の説明でその混乱した読者を納得させられたら良いのだが、これから始まる説明でさらなる混迷を与えかねない著者の論文調を懸念し、とりあえず今回は話のヒントになるものを先に出してから、説明を開始したいと思う。


今回のヒント「コンパスについている鉛筆は、円を描きたい訳じゃない!」


―――――――――――――――――――――


物理的な「力」を矢印記号を使って表記する「ベクトル」を学校で教わった筈だが、習った当時の著者はその原理をほとんど理解していなかった。なにしろ高校当時の著者は全教科が不得意科目であると宣言できる位、勉強嫌いだったからだ。


(だからよく覚えていないのだが)物理か中学の理科で扱った記憶のある「ベクトル記号」のように、物理ではあらゆる「力」を矢印記号のように「直線的に働くもの」として考えるのが基本である。


ゴルフスイングもそれは同じで、(著者が図面で示したように)物理的なコンセプトは直線的なベクトルで表記可能な「打撃現象」として考える訳だ。


もちろん現実のゴルフスイングは、そんな直線的な動きとは懸け離れている。図面で示したような「ビリヤードの球の衝突」みたいな仕方でゴルフボールを打つ人は、世界中を探し回っても見付からないだろう。


だが、もしゴルフボールを真直ぐに打ち出す「機械」を設計するとしたら、宇宙空間のように空気抵抗がなければライフル銃みたいな仕組みを考えるだろうし、空気抵抗のある場所でなら、ボールに適度なスピン回転を与える必要がある為、スピンを発生させるロフト角を持たせたゴルフクラブのヘッドみたいなものを、直線的に動かすレールに沿わせて動く仕組みを作り、それを火薬みたいな方法で加速させる方法を考える筈だ。


何が言いたいのかというと、もし人間でなく機械がゴルフショットを打つなら、ゴルフクラブの形状などすっかり止めて、ライフル銃的な直線的スタイルでボールに爆発的な打撃を加える方法へと進化する筈だ、という話である。


つまり、人が行うゴルフスイングが直線的な動きとは懸け離れたスイング運動によってボールを打つのには特別な事情があって、その打撃運動を行う「人体」がとても複雑な運動の構造を持って生まれてきているからなのである。


人間は器用な動物だから、ゴルフボールを打撃する方法だって色々考えられるだろう。


例えば右手に鉄の塊を握って、それをボクシングのパンチみたいに加速させてボールを殴る原始的な方法だってあった筈だ。しかしそんな野蛮な方法より、ゴルフクラブのような長い棒をエレガントに振り子運動させて徐々に加速させる方が、遥かに小さい筋力でボールに最大の強い衝突エネルギーを発生させられるのである。


だからゴルフボールを真直ぐに飛ばす物理的なコンセプトが「直線的な動き」の表記の方が正しくても、人体の構造上、(直線的にボールをパンチする動きなどではなく)振り子運動的なイメージの、現在のゴルフスイングみたいな動きへと進化していったのである。


といっても、人体の構造が複雑すぎてゴルフスイングの物理現象もよく分からないでいるが、ボールを真直ぐに飛ばす物理モデルはやはり直線的な図表のものと同じなのである。


つまり、人体が行う複雑なスイング運動はあくまで「見た目」だけに過ぎず、実際は直線的な打撃現象である訳だ。


ここで「見た目」という言葉を使ったので、それについての説明を補足しておこう。


ゴルフスイングのように、単純な物理モデルに比べて「見た目」の動きが複雑になる場合は、このような考え方を整理して理解しておく必要がある。


例えば、コンパスを使うと誰にでも綺麗な円を描けるが、これを違う言い方で表現すると、コンパスはどうしたって綺麗な円を描かせてしまう道具であると言えるのである。


ご存知のようにコンパスは、片方の脚の先が針状になって、そこが紙に刺さって動きを固定させてしまうので、もう片方の脚の先にある鉛筆部分がいかように動こうとしても、綺麗な円を描くようにした動けなくなる構造になっている。


たとえコンパスの鉛筆部分を定規を当てて真直ぐな直線を引こうとしても、コンパスの構造が鉛筆部分の動きを制約して、綺麗な円を描かせてしまうのである。


これを物理的に表現すると、コンパスの鉛筆部分は「直線的に動こうとしている」といった解釈をする訳である。


実際、コンパスの針部分を紙に刺さずに、そこをフリーな状態にして線を引けば、コンパスの鉛筆であっても直線が引けるのである。


ゴルフスイングを行う人体の構造は、コンパスとは比較にならない複雑なものである。これは特に証明の必要も要さないほど確定的な事実であるから、著者はこれを「コンパスとは比較にならない複雑な構造」であると説明するに留めておく。


この複雑な構造の人間が鉛筆を使ってフリーハンドに直線を引こうとしても、人間の骨格や筋肉の働きが複雑過ぎるので、定規を使ったような直線になる筈もない。人間がフリーハンドで自然に線を描くと、一見して楕円の一部分に似た、だがそれより遥かに複雑な「情緒ある弧」を描くものである。


今、ただ「線を描く」と書いたが、概念上のこれは「直線」なのである。


「ただ動く」といっても、概念としての動きのベクトルはあくまで「綺麗な直線」の軌道だと考えるべきで、いわば物理モデルにおける動きのベクトルと考えの根元は変わらない筈である。


とはいえ、人体の骨格等の構造はとても個性的で、描かれる弧の形は誰ひとりとして同じにはならないだろう。それどころか同一人物であっても、その日の心理状態や体調など、無数のパラメーターの影響から、それぞれ線を描く力の配分が変わってしまうので、(厳密にいえば)同じ人物の描く線であっても、ひとつとして同じ形にならない。


これは複雑な構造の話であるが、コンパスで直線を引こうとしても円になってしまうのと原理的に同じ現象なのである。


よってゴルフスイングが円みたいな軌道を描いて行われている理由も、これと同じである。


物理的に真直ぐな打球を得る為には、ゴルフクラブを直線的に動かさなければならない筈だが、ゴルフクラブを使って打撃運動を行う人間の複雑な構造上、どうしても円弧に近い振り子っぽい軌道を描くしかない訳だ。


この物理的な解釈を以下のように言う事ができる。


「見た目の動き」は人体の構造の影響を受けて円弧みたいな軌道を描くが、真直ぐな打球を打とうとするゴルフスイングの、物理的な解釈としては「直線的な衝突現象」なのである。


ますます混乱させてしまった手応えを感じつつ、今回の話はこれでオシマイ(汗)。


(続く)

×

非ログインユーザーとして返信する