「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフショットの方向合わせ(11)

よく整備されている日本国内の道路は、激しい雨が降っても効率よく排水溝へ雨水が流れ落ちるように、全体的に微妙な傾斜が付けられている。


普段私たちが歩いている小さな歩道にもその傾斜はあって、雨の日でもキレイに排水されているから、わざわざ長靴を履かなくても、それほど靴が濡れずに済んでしまう。


もちろん場所によって水溜りが出来るのだが、おそらくそれは、本来なら全てキレイに流れ落ちるように付けていた筈の傾斜が、アスファルトの経年劣化などで沈下し、所々平らになったり窪んだりして、その部分の雨水だけが流れ落ちなくなっているだけなのだ。


つまり設計思想的に、街中のアスファルト道路には全て傾斜が付けられている、という考え方が妥当になる寸法だ。


ゴルフコースもほぼこれと同じで、本来なら多少の雨でも、コース全体の排水が効率よく進んで、水溜りが出来ないようになっている筈だが、コースの経年劣化が進んで排水設備に不具合が生じるなどで、フェアウェイの真ん中に大きな水溜りが出来てしまう事もよくあるのだ。


そういった水溜りはいつも同じ場所に出来るものだから、連日のように雨が続くと、そこだけ土に水が浸透して軟らかくなって、さらにゴルファーの足で踏まれるなどしてグチャグチャになってしまうものである。もしそこにゴルフボールが飛んで当たると、ボールは一切跳ね返らず、地面の中へ深く食い込んでしまう事態に陥る。


正式のゴルフ競技では、そのようにボールがフェアウェイの水溜りの中に入ってしまったり、グチャグチャになった所にめり込んでしまったりした場合は、罰無しで救済の処置が取れるようにルールが整備されている。


前置きが長くなったが、ここから推測される重要なことは、設計思想上ゴルフコースには「水平な場所がまったく無い」という事である。


そして前回紹介した「はかり棒」を何に使うのかというと、ゴルファーが打つべきゴルフボール付近の地面に「必ずある」と想定される、その傾斜を読み取ることに使って欲しいという訳だ。


「必ずある筈の傾斜」と言っても、現実のゴルフコースにはかなり平坦な場所があって、一見するとそこは「ほぼ水平なライ」に見えてしまうので、そこから打つゴルファーは「まあ大体平らだよな」と大雑把に考え、そこそこのショットが打ててしまっているのも事実である。(著者のイメージだが)9割以上のゴルファーは、そうやって大雑把に傾斜を捉えて、柔軟にゴルフを楽しんでいる様子だ。


もちろんゴルフを楽しむ姿勢は何も悪くはないのだが、今回は「はかり棒」という特殊な道具の扱い方について説明する回なので、普段は大雑把に楽しんでいる方も、この機会にボールが置かれている地面の「傾斜」を精密に読み取ることにチャンレンジして頂きたい。


まず「はかり棒」の使い方というか、基本的な棒の持ち方や構え方について説明しなければならないのだが、そこは下のリンク先のサイトを参照してもらえればかなり詳細に分かると思うので、ここでは省略させて頂きたい。



ちなみに「はかり棒」の持ち方がサイトとは少し違っていても問題ないが、手を伸ばして「はかり棒」を対象物に近づけるように取る「間合い」については、サイトの図と同じように、持つ手を伸ばすよう適度な距離を保って頂きたい。


そうやって「はかり棒」を使ってデッサンする場合は(サイトのように)片目を瞑って「利き目」だけで対象を見る方法が一般的だが、それはあくまで美術のデッサンをする場合であって、今回はゴルフをする上で必要な、「地面の傾斜」を測る際の使い方であるから、著者なりのアレンジというか、勝手が少し違ってくる。


ゴルフをする場合は「はかり棒」を使う上でも、両目を使った方が無難である。


というのは「はかり棒」を対象物に宛がうと、たとえ両目を使って対象を見ていたとしても、知らぬ間に利き目だけを使って対象物を見ている格好になっている筈だからだ(※)。


※それでも「はかり棒」を外せば、直ちに両目を使って対象を見てしまう。


普段私たちが目の前を見て脳裏に映っている像、つまり「見た目」の全体像は(ご存知のように)そこそこ立体的なものである。こうした立体的な全体像で、私たちはその視野に映る全ての対象物が各々どのような配置になっているのかを、瞬間的に把握することができる。


これも以前ブログのどこかに書いたことだが、ゴルフにおいては、そのような「全体像を立体的に感じ取る」ような普通の感覚は完全否定した方が良いのだ。そのような立体感覚による把握の仕方は、私たちの脳が独自に作り上げた「物語」に過ぎないからだが、問題になるのは、その虚構の「物語」が、実は「不正確な立体座標の集合体」みたいになっている点である。


何を根拠に不正確だと言い切れるのかというと、それこそゴルフである。


(何が言いたいのかというと)ゴルフをやると、人の視野の立体座標がかなり不正確であることが実感される。間違いなくゴルファーなら誰でも「自分の目を疑う」ような事態に何度でも陥っている筈なのだ。


ゴルフをしたことが無い方にはピンと来ない話かもしれないが、完璧に真っ直ぐに向けたパターフェイスを、完璧に真っ直ぐなストロークで振ったにも関わらず、打ち出されたボールが違う方向へズレて転がってしまう「信じがたい事態」に、何度でも立ち会えるのがゴルフ競技なのである。


そして著者はゴルフ協議のそのような信じがたい事態の連続こそが、「視野内の立体座標が不正確である根拠」であると言いたい訳だ。


さっそく「はかり棒」を使って、地面の傾斜を測ってみることにしよう。


手頃な「はかり棒」が無いので、今回は三角定規の1辺を使うことにする。さらに2次元の写真で表現する為に、地面の傾斜を分かりやすくする為の十字線を引いたメモ用紙を床に置くことにする。




最初は傾斜の無い屋内の床にメモ用紙を置いて「はかり棒」代わりの三角定規を宛がうことにする。(下の写真がそれである)



つまりこれは三角定規のメモリ部分の1辺を「はかり棒」として、垂直になるように床に置いたメモ用紙に宛がっている構図という訳だ。


写真がピンボケなのか、よく分からないので、ペイントでそれぞれの線を強調してみたのが次の写真だ。



この写真を素直に見てみると、垂直の方向を示している筈の三角定規の1辺が、床のメモの十字線に対し、かなり鈍角になっていることが伺えると思う。


さて、これは一体どういうことなのか?


(続く)

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