「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(18)

(前の続き)
前記したように、静物画を描くときのような、地面の自然な傾斜を「精密に観察する」意識になると、人の三半規管は活性化する様子で、重力の方向性がそれまでよりずっと精密に感じられるように変化する。


この特殊な認識モードに変革される部分は、ゴルフ技術における本質的なものの中で、さらに核心に触れる最重要な部分であるといえる。


これは何度繰り返しても書き足りないほど、難解な部分でもあるので、今回はこの最重要部分について更に詳しく書き加えて補足する事にする。



この特殊な「三半規管と視覚情報が融合したモード」へと認識が変化すると、次に現実的な身体も変化し始める。


認識のモードが一変することで現実の体も変化するような現象は、普段の生活の中でもよく経験されている。


例えば、何気に階段を降りている時に足を踏み外し、思わず転倒しそうになった時に、私たちの体は瞬間的に非常事態宣言のアラーム音を鳴らしたかのようなモードへと突入する。精神も劇的な変化で(具体的には)恐怖と緊張とで青ざめる。それと同時に体はそれまでとは格段に違う俊敏な動きのモードに突入する。


柔道で受身を習うのとは少し違う感じもあるのだが、その緊急事態宣言が発令されたような心身のモードの中で、私たちの体は危機的な転倒事故による致命傷を避けるための「受身の動き」を自然発生させるのである。


一言で言えば、私たちは「必死になる」というモードに突入する。


(これまで生きてきて、こうした経験を一切していないという人は、恐らく一人もいないのではないだろうか?)



話を戻すと、このブログで前回説明した「三半規管と視覚が融合する認識」のモードに変化すると、その認識によって体全体が「とある変化」を波及させる現象が起き始める訳である。


具体的には、背骨が自然に伸びて、それが骨格全体へと波及し始めるような感じになるのである。


王道のゴルフ技術ではショットを打つ際に、背筋を伸ばして、背骨を理想的なS字ラインを描くように構えの姿勢を調整するものである。だが、著者の経験では、そのように外から見た目だけ骨格のS字ラインを描くように操ろうとしても、ゴルフは上手くならないものである。


何故なら、そのように体全体のバランスが崩れた要因を見付けて、根本的に治していないのに、とりあえず付け焼刃で見た目だけ誤魔化して補正するようにしているに過ぎないからである。


バランスが崩れて背筋が良くない状態であるなら、バランスが崩れた原因を解明して、まず先にそれを改善させるべきであると著者は考える。


つまり、三半規管と視覚が融合し、「重力を精密に感じられるモード」になると、その人のバランス感覚が本質的に改善されて、体全体の崩れたバランスも自然治癒し始めるように身体全体に波及する。


この背骨を中心とした骨格全体の変化を開始し始める様子は、ゴルフをする上で、明らかにそれまでとは段違いの効果を期待できる感じになるのである。


著者の実感を説明すると、その身体感覚なら、綱渡りなどの難易度が高いバランス競技をしても、全く違うものとなる感じがある。


あくまで著者の主観的な考察だが、この現象は三半規管が視覚と融合して精密に研ぎ澄まされることにより、心身全体のバランスが自然に改善されるように自動で変化して、それまで全身に含まれていた「力み」による骨格の歪みが修繕されて、その人本来の、あるべき自然な姿に近付く感じがする。


何とも表現しがたい主観的な話で申し訳ないが、著者の提言するこの特殊な感覚に移るためのコツのようなものを書いておくと、そのような意識のモードに変換される為には、それまで目の前で感じていた自分自身の感覚、別の言い方をすると「現実の実感」となるだろうか?


ともかくそういった総合的な現実感覚の実感を「一度疑ってみる」ことである。


普段自分が見ている視覚や平衡感覚などが全てニセモノだと疑ってみる意識改革がどうしても必要になると、著者は感じている。


前回の話で、著者は左右の足をシンメトリーの左右対称な置き方で立つと、背骨が理想的なS字ラインを描きやすくなるという道理を書いた。実際にその方法で骨格のバランスを整えるには、地面が水平で平らな状態でなければならない。


もし地面が自然なフォルムで傾斜しているゴルフコースのような場所なら、左右の足に掛かる体重配分が偏り、骨格全体が歪んでしまう事態になるのを避けることはできない。つまり、実戦の場であるゴルフコース上では、足場はいつでも傾斜していて、体重配分は偏り続けている訳である。


よって、そこで背骨を理想的なS字ラインを描かせようと熱望しても、ゴルフ競技においては、現実的に実現不可能な要望を強要している事態にしかならない、と結論されてしまうのである。


だが、著者が提言する「地面の傾斜を観察し、三半規管を鋭敏にする」という方法で全身の力みを取り去り、骨格全体のバランスを整えるという方法なら、地面が傾斜していても何も問題では無くなるのだ。


傾斜を厳密に観察する行為が、三半規管の精密さを生み出し、身体感覚は本来あるべきバランスの取れた状態を取り戻す訳であるが、この方法で身体のバランスが整っても、その足場となる地面は傾斜で歪んでいるから、身体全体は歪んでしまっている事になる。


それでも「整っている」というのだから、著者の提言する「軸」という概念的は、背骨が理想的なS字ラインを描くことへの、美的な意味での執着は一切含まれていないのだと言えるだろう。


話がかなり込み入ってきたので、今回はここまでとしよう。(続く)


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