「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(17)

(前の続き)
ゴルフスイングで「軸」と言えば、「背骨」の事である。


だからゴルフスイング理論では、ゴルファーの背骨の状態を様々な切り口で解析するのが一般的である。王道のゴルフスイング理論では、背骨の形が綺麗なS字ラインを描くのが理想とされている。この綺麗なS字ラインの背骨とゴルフのスイングフォームとの間に、密接な関係があるものと考えられている訳だ。


例えば、王道のゴルフクラブの持ち方は独特で奇妙な形をしている。これは右手と左手を複雑に融合させて持つ進化の歴史を経て編み出されたものだからだ。この伝統的なゴルフクラブの持ち方は、通称「オーバーラッピング・グリップ」や「インターロッキング・グリップ」と呼ばれる代表的なものがあるが、プロゴルファーの間では神経質なまでに研究され続けているゴルフ技術のマニアックな分野のひとつに数えられる。


このマニアックな分野が目指す目標のひとつが、ショットを打つ間のゴルファーの背骨を理想的なS字ラインに近付けることにある事は明白である。


ゴルフでは脚の使い方を「スタンス」と呼んで、グリップ同様にゴルファーの間で色々研究され続けているが、これについても背骨のS字ラインが大きく関わる目的が含まれていると推測される。


例えば、水平で平らな地面の上に真直ぐ立とうとするなら、まず最初に両足を地面の上に左右対称の形になるように置くべきだと気が付くだろう。


これは実際に試してみてもらえば簡単に分かる話だと思うが、水平で平らな地面に立つ場合、両足の置き方が左右別々の歪な配置に置くと、そこから真直ぐに立つことは、困難というより物理的に不可能になってしまう事態に陥る。


極端に左足1本で立ってみればこの意味が分かりやすくなる。左足1本で立つみたいに、体重が極端に片方へと偏ると、身体全体がバランスを保とうとして、全体が複雑な形に歪んでしまうのである。そうなると当然ではあるが、背骨のラインも理想とは程遠い、歪な形に歪んでしまう訳である。


だから背骨を理想的なS字ラインを描くように立つ為に、まず最初に左右の足を「シンメトリー」と呼ばれる左右対称な配置で地面に置くべきであると、理論的に結論されてしまう訳である。


ところが、ゴルフスイング全体をシンメトリーな形に整える事は不可能である。その理由のひとつに、ゴルフクラブを持つ左右の手が上下に分かれてしまう事が挙げられる。


例えば、武道では刀や槍を畑を耕すクワを持つように、左右の手を大きく離した形で持つ形になるが、野球でバットを持つ場合、左右の手は接触する位に近い位置で握るのが一般的である。これがゴルフとなると、野球のバットよりさらに左右の手を近寄らせて持とうと、複雑に左右の指を絡ませた握り方が考案されて、全世界のゴルファーの間で普及している。


これは全英オープン5勝という輝かしい成績を残した、ゴルフ発祥の地イギリスの伝説的プロゴルファー、ハリーバードンが考案したグリップ型である。そこまでして左右の手をより近い位置で握らせる事には、それなりの意味があると考えられている。


そのように左右の指を絡ませて握ると、ショットを打つゴルファーの両肩がより水平に近い回転になって、背骨の形もより理想的なS字ラインに近付くという目論見が含まれていると、著者は分析している。(勿論、もっと複雑な理由だってあるのだろう)


他にもゴルフのスイングフォームには、他の競技には見られない奇妙な特徴がある。


例えば(右打ちの)ゴルファーの左肘をより直線的に、真直ぐにする方が良いとされている。この左肘関節が曲がることは、ショットの弾道を曲げる悪い要素のひとつであると、一部のゴルファーの間で信じられている様子である。


勿論、これは全くの迷信で、間違った考え方の典型例だとも言える。ボールを真直ぐに打つ物理現象と、左肘間接を直線の形に保つ努力との間に、物理的な因果関係は一切認められない。事実、ゴルファーの左肘がどれだけ真直ぐに伸ばされていようとも、ショットは前後左右、幾らでも曲がって飛んでいってしまう筈だからだ。


ゴルファーの左肘を真直ぐにさせる合理的な理由は見付からないが、ゴルファーの背骨をより理想的なS字ラインを描かせようとする考え方には一理あると(著者は)思う。


これもあくまで主観的な感じ方に過ぎないが、人も脊椎動物である限り、あらゆる運動を「背骨を中心にした動き」に統合させる方が、より無難に感じられるからだ。


一方で、著者はゴルフでこれら背骨の形には一切拘らない主義を貫いている。著者にとってゴルフスイングの「軸」とは、「三半規管の機能性」のことに他ならないからだ。


(※これについては、面倒でも前の話を参照して頂きたい)


耳の奥にある小さな器官である「三半規管」の機能は、地球の重力を感じることである。


この機能を厳密に定義すると、「重力の方向性を感じ取る能力」ということになるが、方向性というからには、直線的なものをイメージして貰ったら良いだろう。


実は、このバランス感覚を司る三半規管と視覚との間には、密接な関係がある。


大抵の場合、三半規管が感じ取っている重力の方向性は大雑把なものだ。何故そう言い切れるのかというと、その大雑把さが、目の前の対象物をボウッと見る際に「ピントが合ってないでボヤけた状態」である事と密接な関連があるからだ。


例えば、目の前にリンゴを置いて、「静物画」を描くときのように観察したとする。


リンゴの形は大雑把に「丸い形」をしているが、観察結果をそのように大雑把なイメージで終わらせずに、あくまで「精密な観察」をしようとすると、リンゴ表面の形が歪に湾曲していることに意識が働く。


これは目の前の対象物にピントを合わせる行為と似ている。


前後左右で完全に対称性のあるシンメトリーな球体なら、そこまで厳密な観察の必要性は無くなる。何故なら、完全な球体の曲面は、人の数学的なイメージと寸分変わらぬラインを描くから、その予想が外れないのだ。


リンゴのような自然物となると、シンメトリーな球体から崩れた形をしているから、人工的なシンメトリーさのある予測可能な球体とは違って、人の数学的な予測が裏切られてしまう。


だからリンゴのような自然物は、よくよく注視して観察しなければ、ひとつひとつが独創的で個性的であるその歪さを正確に認識することが出来ない。


「精密に観察する」と書いたが、そのようにリンゴの湾曲面を観察する為に、人は目線とその意識の集中を、自然に湾曲したリンゴの面に沿って、絶妙に動かさなければならない。


そのように精密で絶妙な目線と意識の集中を苦手とする方は、いわゆるデッサンを苦手とする美術科目が嫌いなタイプで、著者独自のゴルフ理論によると、往々にしてそのタイプはゴルフ競技も苦手に感じているものと推測されてしまう(笑)。


ゴルフ競技で必要とされる能力は、戦争で必要とされる様々な武芸能力を抽出し、それぞれ独自に発展してきた他のスポーツ競技とは全く違う。


ゴルフで必要な能力は、美術科目で静物画を描く際に必要とされる、精密なデッサン技術に長じた能力が求められる訳である。


湾曲した自然物をデッサンする際、人の三半規管の機能は最大限に精密化される。


精密なデッサン画を描くようなレベルの作業をする際、「視覚」と「三半規管」による重力の方向性をより密接に融合し、厳密な方向感覚として、それが歴然と感じられるような状態にならなければ、精密に描く事は出来ない。


難しい表現をしているが、実際に自然な傾斜をしている地面を精密にデッサンするかのごとく、精妙に観察してみて欲しい。


そのように観察することで、視覚と三半規管がタッグを組んで、それまで経験した事が無いレベルの、重力との精密な方向性を実感し始める筈なのだ・・・


勿論、これは著者の主観的な話に過ぎないので、実際にそれを試した読者が、本当に著者の宣言するような現象を体験できるかどうかまでは、著者にも予測不可能である(だから責任の持ちようも無い)。


だが、貴方がゴルファーなら一度試してみる価値は十二分にあると断言できる。


ところで、著者はシンメトリーな球体ではなく、自然物の歪な形である地面の傾斜を観察しなさいと明言するが、このシンメトリーな球体とは、言わずと知れたゴルフボールの事である。


つまり、「ボールを見ずに、地面の傾斜を観察しなさい。」という話になる訳だが、これも以前どこかで書いた文章である。(一番最初の方だったかな?)


さて、この「厳密に観察する」というポイントを長々と説明してきたが、この話はこれで終わりではない。


地面の傾斜を精密に観察する行為は、視覚と三半規管の融合だけではなく、ゴルフスイングの動作とも深く関係するという展開を次に控えているからだ。


観察することそのものが、ゴルフスイングの運動と密接にリンクする。このトンデモ話的な展開は、著者の妄想や思い込みの産物ではない。あくまでも現実に通用するゴルフスイングの技術として提供するフィクションなのである。


(続く)

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