「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(終)

(前の続き)
何よりも先に、まず(ボールのある付近の)地面の傾斜を精密に観察すること。


そこから始める奇妙なゴルフスイングの方法論をこれまで散々書いてきたが、そろそろこの話を締めくくろうと思う。話の締めくくりとして「地面の傾斜を観察する」ことによって得られるものを列挙しようと思う。



【傾斜を観察することでゴルファーが得られるもの】


①身体感覚が整理される。
(傾斜を観察することで)三半規管の機能が発揮されて、バランス感覚と(それにより無駄な力が抜けて)背筋が自然と伸びて、身体全体が整理される感じになる。


②方向性が良くなる。
地球の重力方向を精密に実感できるようになるので、ゴルフにおける最重要課題である「方向性」の正確性が増す。


重力、つまり上下の感覚は左右の方向感覚の軸となるから、上下感覚が精密になると方向感覚の精度も同時に増す訳である。


(この考えが正しければ、宇宙空間のような無重力では、人の三半規管が役に立たず、上下感覚が失われて、左右の方向感覚も狂うという仮説が成り立つ。最もこれは宇宙飛行士になってみないと実証できない仮説である)


③ゴルフスイングそのものが生まれる。
地面の傾斜を観察すること=ゴルフスイングである。地面の傾斜を観察する行為は、ゴルフスイングの要素である「地面に沿ってクラブヘッドを真直ぐに引く」という動作そのものと成す。だが、これはまだ説明していない項目なので、現時点では意味不明の言葉にしか響かないだろう。この項目は今後説明する予定であるから、その説明を待って理解を得て頂きたいと思う。



以上が傾斜を観察すると得られる項目であるが、早速まとめに入ろうと思う。


著者が提言するゴルフスイングは特殊なものである。著者はゴルフスイングというものが、ゴルファーの身体や運動からではなく、地面の傾斜を「精密に観察する行為」によって生じるものであると考えているが、このブログを見ている多くの人が、その意味を即座に理解できる筈も無いことを、著者は承知しながら書き続けているのである。


主観的であるが、著者自身が地面の傾斜を観察すると、これから行うべきゴルフスイングが(そこから)生み出される感覚を得られるのである。傾斜を観察すると同時に「いきなりゴルフスイングが生まれる」ような感覚を、著者は観察する度に得ている。


これはゴルフをする者にとって不思議な現象であると言える。実際のゴルフスイングは、ゴルファーの手に持たれたゴルフクラブが左右に振られる動作によって編み出されるものである。だから、具体的にゴルフクラブを持つまで、ゴルファーはスイング動作を創作することも実感することも出来ないという道理が成り立つことになる。


だとしたら、著者が傾斜を観察するだけで(現物のゴルフクラブを手に持たなくても)実感している「ゴルフスイングの中核」みたいなものを、一体どのように実感しているのかという疑問が沸き立つ筈だ。


だが、それについて説明を始める前に、著者の提言するゴルフスイングについて「定義」しなければならない。


何事も段階を追って説明する必要があるのだ。


著者が言わんとする「そもそもゴルフスイングとは何ぞや?」という定義を定めない限り、他人とゴルフスイングの理論について話を進めることは出来ない。何故なら、ゴルフスイングは人によって様々だから、打つか振るかの違い程度で根本の理論体系も変わってしまうものである。


だからゴルフスイングについて話を進めようとするなら、先に定義を決めて、話の歯車が噛み合う状況にしてからでないと、読み手は理解の手がかりすら得られずに終わるしかない。これでは議論以前の問題となって、話はまったくの無意味なものにしかならない。


先にヒントというか、予言みたいに書いてしまうと、この先著者がこのブログで開示するゴルフスイングそのものの定義を定めるに従い、この話の謎が同時に解明される鍵の役割を果たす、という展開になる筈である。


(なにしろ、先のことは著者自身も知らぬ話なので、約束というより予言っぽくにしか表現できない事情があるのだ。察して頂きたい。)


次の話へと続く。(題字未定)

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