プレイステーションVRを購入して最初に選んだゲームはグランツーリスモsportというカーレースゲームです。
そのゲームでいつも走っているニュルブリンク・北コースというサーキットを選んでVRを起動させると、VRヘッドセット越しに見慣れたニュルブリンクのコースが立体的に現れます。私はこれから運転する車のハンドルを握っている仮想のドライバーと目線が重なるように、そのゲーム空間に存在し始めるのです。ちょっとした瞬間移動の後のようなドキドキした気分になります。
グランツーリスモのVRモードでプレイするというのは、ゲームの中に出てくる「自分とは違うCGの身体」とリンクすることでもある訳です。
その気になってリンクしようと集中すれば、容易にそのCGの両腕ともリンクできてしまえそうな直感があるのですが、もし仮想の身体と強くリンクしてしまうと、二度と元の身体に戻れなくなるかもしれない(笑)といった、「ありえない想像をして勝手に怖がる中二病っぽい感覚」も出てきますね。
VRによって仮想の身体とリンクしてしまえるという実感は、自分自身の身体と精神との繋がりが、思っているほど重要で特別なものではないかもしれないといった、それまでにあった強い信頼性のようなものが崩れ去る感じがするのかもしれません。
自分の精神と身体との関係が特別なものではない、といった考え方そのものは、V.S.ラマチャンドランの名著「脳のなかの幽霊」を通じ、私の頭の中に「知識」として既にあったものですが、実際にVR体験を通じてそれが本当のことだったのだという実感を得ると、やっぱり怖くなってしまうのですね。
VRについての考え方を説明すると、現時点のプレイステーションVRでは視覚だけに限った話になってしまうのですが、「優れたVR機による仮想空間と現実世界との区別は、一切付かなくなる」という考え方が根本的にある訳です。
このような突飛な考えはもちろん私独自のものではなく、VR、つまり「バーチャル・リアリティ」の技術が検討された何十年も昔の、まだ白黒フィルムだった時代から、専門家の間で語られていた発想のひとつです。
まだまだVR技術が生まれたばかりの黎明期に、彼ら専門家は「もし技術的な問題を全てクリアした理想的なVR技術が作れたとしたら、その仮想現実の世界と現実世界との区別はまったく付かなくなるだろう」といった予想がなされていた訳です。
ソニーのプレイステーションVRの原理は、VRヘッドセット内部の「右目側に見える光景」と「左目側に見える光景」が少しだけ違う角度の絵になっていて、その微妙に角度の違った2つの絵が、ヘッドセット内部の小さなスクリーン上で、重ならない配置として並べ置かれている状態だと想像して下さい。
VRヘッドセットを被ったゲームプレイヤーは両目でその2つの違う画像を同時に認識する訳です。その際、ゲームプレイヤーの脳内では2つの違う角度の画像を「ひとつの視野」に重ね合わせ、融合する作業が開始されていると想定されます。
なぜなら、普段私たちが感じ取っている「立体的な視野」は、ひとつでしかないからです。
つまりそのひとつだけしかない視野の元となったものは、左右の2つの目を通して見える「微妙に角度の違う2つの光景」という訳ですから、その2枚の画像が脳内で完全に融合されて「ひとつの立体的な視野」になっているのだと、考えてみるしかない訳です。
つまりVRで立体的な絵として成立させる工程は(プレステ4ではなく)私達の脳がやっているのですね。
現時点でのVR技術では、ゲームプレイヤーが頭に被るVRヘッドセットの向きを精密に計測し、その方向に見えるCG画像を超ハイスペックなコンピューターが計算して描き出すという仕組みになっています。
ですが、本当にリアルなVR技術を構築するには、左右それぞれの目がどこを見ているかを精密に計算し、その方向にある物体までの距離を割り出して、そこにピントを合わせたようなCG画像を作成する必要があります。
つまり原理的に理想とされるVR技術では、計測すべき方向が3つあり、その1つ目は(現時点で既に行われている)VRヘッドセットの向きであり、さらに付け加えるとするなら、ゲームプレイヤーがヘッドセット内部の仮想空間のどの地点に目線を向けているかを、左右の目をそれぞれ個別に計測する、計3つの方向という訳です。
さらに理論的な理想を追求するというなら、その3つの方向は、全て重力方向に対する立体的な角度として、精密に計測されるべきです。
素人考えに過ぎませんが、これらの改良点がまだ見え隠れしているというのが、現時点でのVR技術の進捗状況だと言えるのではないでしょうか?(私が生きている間にこれらの理想まで全て実現化されたVR技術が完成するかどうかは、ちょっと微妙かもしれませんね)
(続く)