「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフ語り(11)

ゴルフスイングの技術はミドルアイアンを使って考える場合が多い。


仮に長尺のドライバーなどを使ってスイング理論を構築してしまうと、かなり短い9番アイアンやウェッジなどで通用しなくなる恐れもあるからだ。


もちろん全ての番手で通用するからといって、そのスイング理論が「正しい理論」である証明を果たしたとは言えない。もしその理論構築が本物なら、もっと想像を絶するシビアな条件を提示しても(その理論によって)難なくクリアできなくてはならない筈だからだ。


例えば、少し練習するだけで、あらゆる難解なショットを成功させてしまうような天才的ゴルファーがいたとする。


もしその天才がこの世に無数と存在する幾多のスイング理論をそれぞれ試してみたとすると、彼はその類まれなる才能によって、試した全てのスイング理論で高い成績を導き出せてしまう可能性もあるだろう。


例えば、タイガーウッズのようにゴルフ史に残る偉大な結果を残したゴルファーなら、どのようなティーチングプロが後ろに付いたとしても、やはり似たレベルの成績を導き出せていたかもしれない。その場合、その成績はスイング理論の正しさによって担保されたものであるとは言い切れなくなってしまう訳である。


これと同じ事がベン・ホーガンのモダンゴルフにも言えるだろう。


もしベン・ホーガンがモダンゴルフとはまったく別のスイング理論を構築したとしても、やはり彼はあの輝かしい結果を残せたかもしれない。だとすれば、モダンゴルフの理論体系が「真に正しい理論」であるとは言い切れなくなってしまうのである。


一方で、現代のゴルフ界が「モダンゴルフの信者」となって、その体系に沿った発展を遂げてきた歴史があることも見逃せない事実であると言えるだろう。スイングの形に最も影響が強く出るゴルフクラブの開発は勿論、ルールやゴルフコースもある種の理想に沿って整備され続けている歴史がある訳だ。


(プロのゴルフの試合がパープレイに近いスコアに留まるようにゴルフコースの難易度が改造され続けていることは明白な事実である。)


そのように意図的な方向性を保って開発されてきたゴルフクラブを使ってスイングをするのだから、どのようなスイング理論でスイングしても、ベン・ホーガンのモダンゴルフの体系から逸脱しない形に整ってしまうという結果に至ってしまうのは仕方が無いことである。


ゴルフ界全体が「よりスタイリッシュなゴルフ」になるようにと、クラブやファッション、ゴルフコース、ルール、マナーのあれこれを整備しているとしたら、ゴルフスイングはモダンゴルフ的なものへと集約されていくに違いない。


だがそれらの集約された結果の数々は、モダンゴルフや理想とされるスタイリッシュなゴルフスタイルの正しさを証明する証拠であるとは言えないだろう。


モダンゴルフ理論の正しさは、モダンゴルフからかなり逸脱した形をあれこれ試してからでなければ、その正しさの証明を果たせないというきびしい現実が残っているという訳だ。


逆に言えば、よりモダンゴルフらしく綺麗な形に整えようとする努力は、モダンゴルフの理論が正しい事を示す証明とは逆方向の行為なのだ。

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