「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

「制御系」~ゴルフスイングを彩る「未来予測」の技術~(9)

「未来予測」の技術は、以下2行の文章に纏められる。


①バックスイングで発生するフィーリングは、ダウンスイングする際に必要なフィーリングである。
②ダウンスイングで発生するフィーリングは、バックスイングする際に必要なフィーリングである。


具体的には、上記①②における2つのフィーリングを交換し合うあうことでゴルフスイングが生成される、、と書いても何のことだかチンプンカンプンだろう。


この「未来予測」の技術は著者独自のもので、文面を一般的なゴルフ知識などによる解読で理解しようとしても、それは不可能に近い構造になっている。これを理解するには、著者による独自性の説明・補足が必要で、その補足によって少しずつ読み解ける構造になっている。


これから何回かに分けてその補足の文を継ぎ足し、謎めいた部分が少しずつ明らかになっていく展開にする予定だから、少しだけ期待して読み続けて頂きたい。


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今回は前回に引き続き「フィーリング」についてウダウダ書いていこうと思う。


食べ物の好き嫌いを考えてみると(例えば)ある人は納豆を美味しいと思って食べるが、ある人にとってそれは地獄の味にしか思えないという決定的な違いがある。


味覚におけるクオリア、つまりフィーリングは、人によって千差万別である可能性の方が高いものと判断される好例だが、この話をさらに進めると、カレーライス好きの人々の間にも味覚の差異がある筈だ。


つまりカレーを食べたときに「美味しい」と思う感触が人によって大きく違う訳である。私がカレーを食べたときに感じる触感・感覚は、恐らく貴方がカレーを食べた時に感じる味覚とは色合いの違うものだという話だ。


個人差どころか、同じ人間の味覚でさえ、その時の体調や年齢によって変化する。大好物のカレーライスが一口も喉を通らないといったことは、誰しもが経験するのでそこは理解できると思うが、鈍感に物事を考える者にとって、味覚はもっと絶対的で、数値化さえ可能なものに思えるのかもしれない。


だが、より多くの人々にとって、フィーリングは日々変化するものであると自覚されている。例えば風邪を引いていると外気温が寒く感じから、多くの人が「寒い」と感じた際、必ず周囲の人にその事実確認を求めるのである。「ねえ、寒くない? それともワタシちょっと風邪気味なのかしら?」といった具合のセリフによって。


ところが、日本国内では四季を感じるセンスを共有する文化があって、つまり桜が咲くか、あるいは木の葉が山吹色に染まるかなどをシンボルとして、挨拶代わりの言葉を交わす風習がある訳だ。


今回著者は、そこに日本人特有の大きな問題が潜在しているのだと指摘しておきたい。


(どういったことか?)


日本には四季がある為、桜が咲く時期が早いか遅いかなどの問題を問う「地球規模の大きな気候変動」といったテーマは扱われにくい問題が潜在しているのだ。


日本国内で行われていることと言えば、個々が真に感じているオリジナルのセンスを封印し、全体で共有すべき「シンボルチックな季節」を強要することでしかなかったからだ。そういった風土になってしまっているから、我々日本人は「季節を真に感じる感覚」を鈍らせた民族である自覚を持たねばならないと、著者は考えるに至った訳だ。


日本国内で「年々冬の寒さが厳しくなって、都心部で雪が積もるようになった。これは地球寒冷化、すなわち太陽の周期が氷河期に入った証拠なのだろうか?」といった深刻かつ重要な問題はNHKのニュースなどでも扱われにくく、国内のマスコミは桜前線情報に執着して、桜の下の場所取り合戦のニュースを慣例的に放映する訳である。


これを鈍化と呼ばずして、何と呼ぶのだろう?


それでも多くの日本人は四季を通じたセンスを磨いているつもりになって自信過剰気味であるから恐ろしい。もし日本人が、他国の人より繊細な季節感覚を養っていると自覚しているのだとしたら、それはかなり深刻な問題でなのである。


太陽活動が弱い氷河期の周期に入ると、地球規模で飢饉が起きたり、それによって革命が起きたり戦争になったりする歴史的なパターンが発見されるかもしれないが、日本人はそういったセンスに蓋をして、無頓着になりやすい風土を練り上げてしまったから厄介なのだ。


アリとキリギリスの話で言えば、日本人はそれを「一年を通じた冬と夏の違い」の物語だと理解するかもしれないが、ヨーロッパでは「太陽活動の周期における氷河期と温暖化の違い」の話だと理解するかもしれない。


真の知性は数百年規模の周期によって変動する微細な太陽活動を観察し続け、氷河期などに備えた政策を考えるのだとしたら、桜前線の場所取り合戦でお祭り騒ぎになっている日本人は明らかに(アリでなく)キリギリスの方である。


日本国内で一年の中の夏や冬の違いといっても、実際はマンネリパターンの繰り返しで、知恵は少なく、案外お馬鹿だったりするのだ。


さて「フィーリング」とウダウダ書いてきたが、今回に関しては話を纏められない。今回の話とゴルフスイングにおける「フィーリング」とがどう繋がるのかを、説明や補足をするつもりはないが、最後に一言だけ書いて終わりにしたい。


体重が100キロもあって皮下脂肪が厚く、春になると汗だくになる人が居たとする。彼が「額に汗ばむ季節になりました。もうすっかり春ですねえ。」と心からの感覚を言葉にしたら、日本国内では失格の烙印を押されかねないだろう。


以上。(続く)

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