「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

「制御系」~ゴルフスイングを彩る「未来予測」の技術~(10)

「未来予測」の技術は、以下2行の文章に纏められる。


①バックスイングで発生するフィーリングは、ダウンスイングする際に必要なフィーリングである。
②ダウンスイングで発生するフィーリングは、バックスイングする際に必要なフィーリングである。


具体的には、上記①②における2つのフィーリングを交換し合うあうことでゴルフスイングが生成される、、と書いても何のことだかチンプンカンプンだろう。


この「未来予測」の技術は著者独自のもので、文面を一般的なゴルフ知識などによる解読で理解しようとしても、それは不可能に近い構造になっている。これを理解するには、著者による独自性の説明・補足が必要で、その補足によって少しずつ読み解ける構造になっている。


これから何回かに分けてその補足の文を継ぎ足し、謎めいた部分が少しずつ明らかになっていく展開にする予定だから、少しだけ期待して読み続けて頂きたい。


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前々回より引き続いて「フィーリング」の定義についての話である。


(これまでの話により)フィーリングはあくまで個人的なものでしかなく、他者と共有することは原理的に不可能である。それどころか、個人的なフィーリングでさえ絶対的ではなく、スイングをする度にフィーリングも毎回変化するので、一度として同じ感触は得られないと考えておくべきだ。


これが著者の考える「フィーリング」についての基本原則であり、これまでの話でそれなりに伝わったものと思うので、今回はその続きである。


ゴルフクラブの所持はルールで14本以内と決められている。


プロアマ問わず、殆どのゴルファーは14本のゴルフクラブをキャディバックに入れてプレーに臨むものである。より多くの道具があった方が有利にプレーを進められるからだが、ゴルフの難しさの一面には、こういった数多くの道具を使いこなす技術修得の困難さも含まれていると言えよう。


もしゴルフ競技がたった1本のゴルフクラブを使用して行うものだったら、(競技全体の平均スコアは今より数段悪くなるだろうが)技術習得の難易度は格段に易しくなるものと考えられる。


というのは、道具が違えばそれぞれのスイング時に発生するフィーリングも大きく異なったものになってしまうからだ。よってゴルファーは14本の道具に応じたスイング感覚を、それぞれ個別に、多大な練習量によってこれを覚えこむ修練に挑まなければならない訳だ。


練習量に制限のあるアマチュアの多くは、キャディバックに入れている14本のクラブを全て使いこなすだけの技量に達していない場合も多い。月1ゴルファーの多くは、キャディバックに入っているクラブの半分も使いこなせない程度の技術レベルでゴルフをしているというのが実態だろう。


現実的に考えると、無限に存在しうるスイング時のフィーリングを想定した場合、それら個別のスイング技術を習得するには、膨大な練習と実戦経験が必要とされる。トップアマやプロレベルのゴルファーは、体育会系的な発想で、その膨大な量をこなしているのかもしれないが、(その方法しかないのだとすれば)月1ゴルファーは絶望するしかない。


著者は(原理的に)無限大に潜在する「スイング時のフィーリング」を、次のように考え、推し進めていく。


①ゴルフスイングにおける「あらゆる体の部位の感覚」を一切取り扱わない。(完全無視である。)


②ゴルフスイングで取り扱うフィーリングは「ゴルフクラブの感覚」のみである。


③取り扱うゴルフクラブの感覚も全てではなく、「ゴルフクラブを動かす際に発生するフィーリング」に限定される。


上記①~③の内容は、フィーリングについて著者が考える基礎的な問題の数々をクリアする為に導き出した「解決策」であるとも言える。


その「解決策」を少しだけ解説すると、著者はスイング時に発生する無数のフィーリングを絞りに絞って、ある特定のものに限定する作戦を打ち立てたのだ。著者が(迷い無く)真っ先に打ち切ったのは、スイング時の身体感覚として膨大な情報の坩堝と化している「体のフィーリング」である。


一般的なゴルフスイング技術論が、正にこれとは真逆の「体のフィーリング」を中心に添えた小宇宙を構成している状況にあるとすると、著者の「フィーリング論」はかなり異端なものかもしれない。


著者が限定したのは「ゴルフクラブの感覚(フィーリング)」である。


ゴルファーがゴルフクラブを感じ取るのは、両手の平の中だけである。さらにゴルファーは両手の平の中で(ゴルフクラブを感じ取るのと同時に)クラブにパワーを与えて、スイング運動させる要にもなっている。


つまり「ゴルフクラブのフィーリング」に集中するというのは、ゴルファーは手の平の中に存在するフィーリングにだけ集中すれば良いと言っているに等しい。


著者はゴルフクラブのフィーリングの中からさらに厳選して、次のように絞り込む。


著者が扱うゴルフクラブのフィーリングは「ゴルフクラブの構造(慣性モーメント)」ではなくて、「ゴルフクラブが動く際に感じ取られる道具の重さ(質量)」である。


ここで念の為、小学生の理科で習う「質量と重量の違い」といった説明を加えたい。


ごく簡単に言えば、「質量」とは無重力の宇宙空間でも感じ取られる「重さ」であり、「重量」は引力がある地球上で、普段私たちが感じている「物の重さ」である。


頭の中で次のような状況を想像してもらえたら分かりやすいだろう。


ゴルファーが無重力の宇宙空間でゴルフクラブを持っているとする(笑)。無重力地帯の宇宙空間では、ゴルファーは持っている道具の重さを感じ取ることが出来ない。一方、地球上でゴルファーがゴルフクラブを持っていると(普通に)その重さを感じ取れる。何故なら、地球上には引力があるからだ。


逆に宇宙空間には引力が無いから、重さを感じない訳である。


そのような無重力地帯である宇宙空間でも、ゴルファーが手に持っているゴルフクラブをすばやく左右に動かすと、ゴルファーはゴルフクラブの重さをそれなりに感じ取ることができる(これは思考実験な仮説に過ぎないが、実際に宇宙で検証してみても、間違いなくそのような結果に落ち着くだろう)。


無重力空間でさえ感じ取れる「道具を揺らした際の重さ(=フィーリング)」にだけ、著者はスイング時に扱うフィーリングを限定しようと考えているのだ。


「ゴルフクラブを動かした際に感じ取られるフィーリングに絞り込む。」


少しだけ答えの頂に近付いている気配も感じられるが、それでも(原理的に)無限大に存在するゴルフスイング時のフィーリングを、どれだけ限定して絞り込んだとしても、その中にはやはり無限大の種類のフィーリングが潜在するような気もするだろう。


なんだか数学におけるフェルマーの最終定理の証明的な難しさを帯びてきた話になってきたが、著者はここからどのように、潜在している幾多の問題点をクリアして、制御可能なスイング技術としての構築を果たしたのだろう?


この続きは次回に持ち越すことになる。(続く)

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