「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

このブログにおけるゴルフスイングの定義(7)

(前の続き)
ゴルフスイングにおける「タップ式」と「ストローク式」の違いを、振り子運動の原理が含まれているスイングかどうかで見極める考え方は、原理的に正しくても、判別する手段としては適切でない。


別にあらゆるゴルファーのゴルフスイングをいちいち「貴方はタップ式だ」などと見分ける必要は無いが、「判別できない」という状況は、ゴルフスイングの本質的な部分に触れる問題なので、放っておくべきではないと著者なら判断するだろう。


なぜなら、適切な見極める方法を知れば、タップ式で打つのもストローク式で打つのも自在になれる筈であり、だとしたらその「見極める具体的な方法」は、判別手段というより「ゴルフスイングの純粋なる技術の一端」を示すものである可能性が高いからだ。


まあ、よく分からない話だと思うので(笑)、これを酸性とアルカリ性の話に置き換えて例えて説明してみよう。


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果物のようなものが「酸性」と「アルカリ性」のどちらかに分かれることを、私たちは小学生の頃、理科で学んだ。著者の小学生の頃は、リトマス試験紙を使って見極める方法を習ったが、その判別手段そのものは、その現象の本質を何も説明していない。


実際小学生の頃の私たちは、リトマス試験紙の色が変わる現象を目にしても、ただキョトンとするだけで、目の前で起きている試験紙の色が変化するのを見ていただけに過ぎなかった筈なのだ。


確かにリトマス試験紙は、それぞれの果物が酸性かアルカリ性かで個別に反応し、色の変化によって私たちにその結果を示してくれていた。が、それでその果物が酸性なのかアルカリ性なのかが、確かに分かったのだが、一体それで何が分かったというのだろう?


一方で(リトマス試験紙とは別に)ただの水を酸性とアルカリ性に電気分解できる技術がある。


このアルカリ性に分けられた水の方を「水素水」と名付けて、健康食品として爆発的に売れてヒット商品になったことは記憶に新しいと思う。


この「アルカリ性の水」のように、水のような中性的なものを酸とアルカリに「分けてしまえる技術」があるとしたら、その技術の方が(先のリトマス試験紙の実験より)物事の本質に触れる原理原則を現していると、考えられないだろうか?


例えば、レモン果実は(ご存知のように)酸性であるが、、これを水の電気分解の理屈で考えると、レモンの木全体の(果実以外の)他の部分、あるいは土壌の成分の中に、残りのアルカリ性なる要素が偏っていると考えられる訳だ。


だとすれば、レモンの木の「そのように性質を分けてしまう機能的な部分」にこそ、この現象の本質的な何かが隠されている、という展開として、考え進められそうな気配を感じられないだろうか?(著者は感じる!)


そのように理論展開させる方が「何故、レモンの木は果実部分だけを強い酸性にしようとする進化の道を歩んだのか?」という謎解きを含めた、本質的な部分を理解させる何かを見付けられそうな期待に心が躍るのである。


それに比べて、リトマス試験紙で判別する行為では、何も分からないままだろう。


さて、これを踏まえてゴルフスイングの話に戻ろう。


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ゴルフスイングが「タップ式」と「ストローク式」に分けられることは、経験豊富なゴルファーの多くが知る俗世間レベルの話に過ぎないが、そのことを真に理解しているゴルファーは稀である。


簡単に説明するなら、タップ式は「トンカチで釘を打つ動作」であり、ストローク式は「振り子運動」というだけだが、それを知っても何かを知ることにはならない。たとえ表現を難解にして、ストローク式を「自然派」とか、タップ式を「意識的」「人為的」「人力」などの言葉に置き換えても、聞いている方をより困惑させてしまうだけに終わるだろう。


とある物事を説明するという困難さは、どこか数学の定理を証明しようとする困難さとも似通ってくる。


数学史に残るような偉大な数学者が何人も挑んで、360年以上証明できなかった「フェルマーの最終定理」を見事証明に導いたのは、イギリスの偉大な数学者・アンドリューワイルズである。


彼は一見全く別の法則にしか見えない「すべての楕円曲線はモジュラーである」という谷山・志村予想を証明することが、フェルマーの最終定理を証明することに繋がると判断し、その判断が正しかった為に偉業を達成できたのだと言われる。


フェルマーの最終定理ほどでないとしても、世の中にはこの手の話がゴロゴロ転がっていそうなもので、著者も偉大な数学者の手法にあやかり、ゴルフスイングの解析に一計案じてみたいと思う次第である。


さて、その著者の一案とは、次のようなものである。


短い番手のアイアンを使ってボールを100センチという極端に短い距離を打つ。そしてその距離をさらに少しずつ短くしていく。100センチ、90センチ、80センチ・・・10センチ、そして最終的に「ゼロセンチの距離を打つ」というチャレンジをする。


ポイントは「ゼロセンチ・ショット」である。つまりゼロセンチに至るまで短いショットはただの練習に過ぎない。


そして、この「ゼロセンチ・ショット」を打つことができるゴルファーこそが「タップ式」のゴルファーであると定義される訳だ。逆にゼロセンチが打てない人は「ストローク式」のタイプに定義分けされる寸法である。


恐らく打てないゴルファーは、(ゼロセンチだからと)ゴルフクラブを全く動かせなくなってしまうのだろう。これは振り幅で飛距離をコントロールしようとするタイプのゴルファーだけに起きる現象だから、すなわち「ストローク式」のゴルファーだと正確に定義できるのである。


「ストローク式」のゴルファーとは、振り子の原理が含まれているかどうかを見極めるより、ゼロセンチ・ショットを打とうとしたら、ゴルフクラブが静止して動かせなくなる場面を見て、的確に判断すべきであるのだとも言えるが、


先にも書いたように、そのように区別すること自体はそれほど重要ではない。


ゼロセンチ・ショットを打てれば、そのゴルファーは「タップ式」を体現したのだとも言える。逆にゴルフクラブが静止して打てなくなるようなら、「ストローク式」でスイングできている証拠だとも言えるだろう。


一体なんの話をしているのだと、まったく理解できない人がいると思う。


が、恐らくその人は、この話がどれだけ重要なのかを知らないだけだ。つまり、その人に足りていないのは「知識」ではなくて「価値」か「モチベーション」「好奇心」なのである。


(続く)

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