「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

このブログにおけるゴルフスイングの定義(6)

(前の続き)
昔からゴルフでは、振り子の原理を使ってゴルフ技術を構築しようとするタイプを「ストローク式」と呼び、それに対峙するタイプの打ち方を「タップ式」と呼んで区別していた。


だから経験あるゴルファーならこの「ストローク式」と「タップ式」を知っている筈だが、実際にこの2つの打ち方を明確に定義分けできる程、よく理解しているゴルファーは少ないと思う。昔からある「ストローク式」と「タップ式」だが、よくよく考えてみると、この2つの違いを明確に区別することが、意外と難解であることに気が付かされる。


こういったことは数学の世界でよくあるらしく、もっとも有名なのが「フェルマーの最終定理」である。


「フェルマーの最終定理」の物語は、360年前の偉大な数学者・フェルマーが紙面の片隅にイタズラ書きしたように残した短い数式から始まった。当初は誰もが簡単だと思ったその数式の証明に、チャレンジした偉大な数学者たちがことごとく挫折する事態に陥ったのである。次第にその証明が数学界を震撼させる程の超難問であることが判明し、その定理の証明に成功した者には、数学界最高の権威ある賞や、多額の賞金が出される事態にまで発展した。


賞金が高騰しても、360年間その数式の証明は果たされなかった。


難攻不落の城を落城させたのはイギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズである。1994年、彼はほぼ独断の研究によって超難問の証明を達成した。ワイルズがユニークだったのはその証明に至るプロセスである。当時主流だったコンピューターを使った研究方法や、数学者同士のアグレッシブな議論を交わせる機会に彼は殆どタッチしなかったのである。


ワイルズはどうやったのかというと、ひとり家の中に閉じこもって、机の上の紙に向ってひたすら鉛筆を走らせたのである。そんな「古典的なやり方」によって、360年間証明できなかった超難問を解き明かしてしまったのだ。


何でこんな話をするのかというと、ゴルフスイングの技術にも、この数学の証明と似た部分があると思ったからだ。


例えば、「振り子の原理」は、パットや距離の短いアプローチショットにある程度通用する部分を見せるのだが、飛距離を出すドライバーのフルスイングなどでは不適合となってしまう側面がある訳だ。さすれば「振り子の原理はゴルフ技術としては不完全である」という残念な結論に至ってしまうのであるが、


つまりそれは、ゴルフ技術を語る上で重要なのは、数学の定理を証明するような「完全性」であり、それが達成できなければ、その技術が不完全な「欠陥品」であるというレッテルが貼られてしまう事態を避けることができない、という事でもあるのだろう。


そもそもゴルフとは、誰でもこれと似た様な経験から始まるのである。


最初は誰でも「ゴルフなんて簡単そうだ」と舐めた態度から始まり、次第にその技術の確立が長難問な課題であることに気が付かされる。だがそうなった時にはもう遅い。それに気が付いた多くのゴルファーは、ゴルフの魅力にすっかり獲り付かれているという寸法である。


難攻不落であるゴルフ技術を歴史上初めて完成させた人物として知られることになったのが、かのベン・ホーガンである。(※ベン・ホーガンについては「このブログの趣旨について(4)」を参照して頂きたい)


だが、その理由は彼が全てのショットに「同程度の完全性」を感じさせる結果を出し続けた事実に由来している。ベン・ホーガンの戦歴はその意味で文句なしに華々しいものであったのである。


つまり、そのゴルフスイングの技術が完全であるかどうかの証明は、あくまで実戦のゴルフ競技における結果でしか証明できない、という話にもなってしまうだろう。


とはいえ、ゴルフ技術の本質は、それがただ単にその技術を発見したゴルファーのハンデキャップとか、戦績の良し悪しだけでは測れない側面があると誰しもが思う筈だ。成績やスコアレベルで言えば、ベン・ホーガンでさえ択一した実力があるとは言いがたいからである(スコアレベルだけで言えば、全盛期のタイガーウッズこそが史上最強かもしれない)。


故に、ゴルフ技術の完全性の証明には、どこか数学の証明と似た部分があるということになるのである。


例えば、著者がゴルフ技術の研究を進める上で、「たとえ無重力の宇宙空間でさえ、同じ技術が通用するようなものでなければ、そのゴルフ技術は未完成・不完全なもので終わるだろう」といった、あたかも数学の証明に失敗したような末路を直感したものである。


だからゴルフ技術を構築する上で、ゴルファーが歩むべき道が「ストローク式」と「タップ式」の2本に別れていたとしたら、著者は迷わず「タップ式」の方へ進むべきだと推奨するだろう。


これは、選択を間違えればその技術の完全性を証明できない、といった直感があるから、ゴルファーは正解をチョイスし続けなければならない、という数学の証明とよく似た側面を、著者が実感していたからに他ならない。


著者が推奨する「タップ式」とは、一体どのようなものか?


前回の話のように、「ストローク式」のゴルファーはゴルフ全般を「自然なもの」にしたがる傾向がある。彼らは人の体の中に、ゴルフスイングを行う生理現象のようなものが潜在している、といったイメージがあるのかもしれない。だから彼らは、人為的というか、意図的なスイング動作を忌み嫌い、否定する傾向があるのだ。


では、それと対極的なタイプの「タップ式」になると、どう違うというのか?


タップとは「ノックする動き」のようなものである。道具を使った例えでは「金槌で釘を打つ」というものになるだろう。


「金槌で釘を打つ」という仕事は、家庭の日曜大工で釘を打つようなものだが、著者が「釘打ち」と聞いて真っ先に思い浮かぶイメージは、壁に向って釘を打つ姿である。あるいはハシゴに上って天井板に釘を打つ姿や、雨漏りを直す為に足場が不安定な屋根に上って、瓦を固定する為にコンコン釘を打つイメージなども連想する。


こういった「釘打ち」のイメージに共通していることは、不安定な足場で作業をしなければならない点である。丁度それは、風雨のある過酷な環境下でショットを打たねばならないゴルフ競技に通じる部分があるようも感じる。


壁や天井に向って釘を打つ場合、その金槌を振る動きの中に「重力落下の力」などはまったく含まれていない。


原理的に含まれる訳が無いのだ(これは重要なことだ)。


著者がゴルフ技術を構築する際、条件として課したことに「無重力の宇宙空間でも、地上と同じスイングが可能である」というものがあった訳だが、(後々分かったことだが)この条件を満たすスイングを目指すことにより、著者は「タップ式」のゴルファーとして成立する事になったのである。


無重力の宇宙空間が一体どのような場所なのかというと、リアルなSF映画などでイメージされるものとしては、ニュートン力学で習う「慣性の法則」が冷酷にまで現れる無音で暗闇の世界であろう。


慣性の法則とはそういった宇宙の中で「静止している物体は永遠に静止し続け、動いている物体は永遠に動き続ける」といった様そのものである。宇宙空間では地球の重力が一切影響しない為、ゴルフスイングをしようと(振り子のように)クラブを引き上げても、そこからクラブヘッドは元の位置に戻るそぶりを一切見せないという事だ。


つまり、無重力の宇宙空間では、振り子運動の原理そのものが存在していない訳だ。


だから、もし無重力の宇宙空間で、宇宙飛行士が、両足をなんとか固定してゴルフクラブをスイングしたとしたら、その動きは100%その宇宙飛行士が「自ら力を加えてコントロールした」ことによって表現されたスイングであると言える。


100%混じりっけ無しの人力ゴルフスイングという訳だが、これこそが「タップ式」のスイングする姿なのである。


と、ここまで書いてみたが、恐らくイマイチ納得がいかない話になっている筈だ。何故なら、こういった説明で「タップ式」と「ストローク式」の2つを区別し、それぞれの定義を済ませたとは言いがたいからだ。


これはつまり、このような説明の仕方がそもそも違っているという事なのである。


(続く)

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