「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

このブログにおけるゴルフスイングの定義(5)

(前の続き)
前回の話で、ゴルフスイングの動力源を「振り子の原理」だとする考え方をする上で、一般的に使われがちな「ゴルフクラブを振り子運動させるモデル」を(著者は)否定した。


もしゴルフクラブを振り子運動させるなら、ゴルフクラブの長さが番手ごとに変化する為、振り子スイングのタイミングやリズムも番手ごとに個別のものとなってしまう筈である。だから振り子の原理でスイングするとしたら、ゴルファーはこれら番手ごとのタイミングやリズムを全て別々に身に付けておかなければならない事になる。


もちろん現実のゴルフはそんな器用な真似をせずとも済むように、ドライバーからウェッジに至るまで、全ての番手を同じタイミングとリズムでスイングできるように調整するのがセオリーとなっている。著者の考察は、そのセオリーが番手ごとに固有の振り子リズムがある物理原理を無視するがごとく、ゴルフスイングを構築している証拠に他ならない、という結論に達したのである。


一方でグリーン周りのアプローチショットなどで、ウェッジのような短い番手のクラブを短めに持って、振り子運動させるようにショットを打つ場合、その振り子運動の振り幅の大小加減によってヘッドの速度が決定するので、その原理を利用して飛距離をコントロールするタイプのゴルファーの距離感覚と完全に合致するだろうという見解も別に述べた。


よって話の本筋は、ゴルフスイングの全てが振り子運動と無縁であるかのようなものではなく、振り子の原理はゴルフの一部では適合するが、全体的には不適合であるという両極端な結論に至る為、全てのゴルファーはこの2つの結果を混同しないように技術構築を果たさねばならないという、注意喚起の内容が補足された形で終わった。


ちなみに著者のゴルフ技術はというと、この「振り子の原理」と一切無関係なのである(笑)。一体これはどういうことか?


これを説明するには、「タップ式」と「ストローク式」の違いについて先に学ばねばならない。


(今回はこの2つのスイング方式についての話という訳である。)


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グリーン周りの短いアプローチショットのように、部分的には適合する「振り子の原理」を、ゴルフ技術全般に応用しようとするタイプのゴルフスイングを、ゴルフ界では「ストローク式」と呼ぶ。


そしてその「ストローク式」と対峙するタイプの打ち方を「タップ式」と呼ぶのである。


「ストローク式」の打ち方については既に想像できていると思うが、振り子の原理によって生じる「固有の振り子運動」を、ゴルファーはなるべく手付かずのまま邪魔しないようにスイングする方向で、全体的な技術を構築しようとする訳である。


こういったタイプのゴルファーが共通して口にするのが、「クラブが勝手に仕事をしてくれた」といったセリフの類である。


これを会社の上司に例えると、「部下が勝手に全部やってくれる」から、上司はなるべく何もせず、部下のオリジナリティを尊重し、全て部下に任せるのが最上であるという考え方をする「手抜きタイプ」のリーダー像になるだろう。


この手のリーダーは仕事を全て「部下の自主性」で進めたがるので、逆に「指示待ち」で仕事をするタイプの部下を、「指示しないと何もしない奴だ」と見下す判断をしがちになる傾向がある。


「ストローク式」でスイングしたがるゴルファーもこれと同じで、彼らに共通する「ゴルフクラブ任せ」という傾向から、ミスショットさえも(スイングした自分自身にではなく)ゴルフクラブの責任にしようとする反応が見受けられる。


だからストローク式のゴルファーは、我がままで身勝手な印象の性格が表に出たように見えてしまう場面があるのだ。


性格的に言えば他にも、ゴルフクラブをなるべく操作しないようにする為、力みを嫌がってリラックスを重んじる傾向があると言える。だからゴルフをしている最中、ストローク式のゴルファーの多くは、ずっと冗談を口にして、絶えず空気を明るくしようと勤めるムードメーカーのキャラクターを演じやすい。


もし彼がミュージシャンでコンサートを開いたとして、そのコンサートが盛り上がりに欠けたものになったら、(自分の実力不足を責めるのではなく)ノリの悪い客に対して愚痴が出てしまって、イライラしてしまうかもしれないのだ。逆にコンサートが予想外に盛り上がった場合、その成果は演奏した自分にではなく、全て観客へと向けられ、本人はひたすら感謝しようとする感情へと流れてしまうだろう。


総じてまとめるなら、ストローク式のゴルファーは「自然派」であり、「我がままだが、どこか憎めない外交的な性格の持ち主」であると言っても差し支えないだろう。


この「ストローク式」に対峙するタイプが「タップ式」という訳である。


(ちなみに著者は明らかにタップ式のゴルファーである。)


「タップ式」でショットを打つタイプのゴルファーは、先のストローク式とは真逆で、ゴルフクラブがどのような形式や性能であろうとも、そういった事には殆ど無関心になってしまうのである。


例えば、日本プロゴルフ界のドンとして有名な(故)杉原輝夫プロは、パットの悪い結果を決して道具の責任にしなかった。


だから彼は一番最初に購入した1500円程の安物パターを生涯使い続けたという話を聞いたこともあるのだが、もっと性能の良いパターに交換すれば良いのに、と人から進められても、杉原プロは「どれでも一緒じゃ」とまったく道具には無関心で、パットはゴルファーの技術が100%だといった、職人気質の反応を見せたという。


「ストローク式」が自然派で他力本願で外交的な性格の持ち主だとすれば、「タップ式」はその逆で、人為的で全てを管理したがる完璧主義者で、自主的で内向的な職人気質の孤独な性格の持ち主、いう話になるだろう。


なんだか書いていて俄然面白くなってきたのが、この話はもうひと盛り上がりしそうな予感があるので、今回はここまでにしておこうと思う。(続く)

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