「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(12)

(前の続き)
ゴルフの話をしているのに、「メンタル」の話を外すことは出来ない。


あらゆる物事の結果が「メンタル」と密接な関係があるものと考える人は大勢いる。私たちは彼らを「精神論者」と呼び、忌み嫌っている様子なのだが、ことゴルフとなると誰もがこの忌まわしき「精神論者」のような事を口にしてしまう。


例えばミスショットをした瞬間に、「気負いして力んだ!」とか「不安で集中できなかった」とか「緊張して地面を叩いた!」などの言い訳が、ついつい口から出してしまう。


ゴルファーなら誰しもこのような経験をしている筈だ。


もちろんこれらの事を論理的に考えると、次のように反証できてしまう。


悟りを開いた精神的な完成度の高いお坊様でもゴルフはダメかもしれないが、プロゴルファーならたとえメンタルがボロボロでも、お坊様より10倍は上手くボールを打てる筈である。よってメンタルとゴルフの結果は、原理的に無関係だと考えるべきである。


全盛期のジャンボ尾崎プロは「ゴルフは心・技・体ではなくて、体・技・心だ」といった名言残している。


多くのプロゴルファーも恐らくこれと同様で、まずゴルファーは「体力」を練る努力をし続けて、次に日々の練習で「技術力」を養い、もしそれらの完成度が十分に高くなれば、最終的に残っている「心」のことを考えても良いだろう、といった具合に考えているのかもしれない。


この逆説は以下のように立証することもできる。


「全盛期のタイガーウッズ」はゴルフ史上類を見ない最強レベルの結果を出していた。当時の彼は(結婚後も含め)異性とのセックスが中毒になるレベルの回数をこなしていた様子である(それらのスキャンダルなニュースが世界中に流れて、彼が離婚に至ったことは有名な話である)。そうなると全盛期の彼の精神状態はいつもセックス依存症の禁断症状が潜伏している「不安定な状態」であった可能性が高いが、それでも彼はゴルフで最高の結果を出し続けていた訳である。


逆に「現在のタイガーウッズ」の精神状態が最悪であろうことは、あのニュースを見聞きした人なら誰もが想像してしまう筈である。現在のタイガーウッズのメンタルを最悪にしているのは、近年における彼のゴルフが「最悪」だからである。つまりテストの結果が0点ばかりだから、凹んでいるだけなのだ。


この事実から言える事は「メンタルの状態がゴルフの結果に影響する」というより、「ゴルフの結果の良し悪しがゴルファーのメンタルの状態を左右させる」という話にしかならない。


人は因果関係を順序逆に捉えがちだから、現在の状況からでも、「タイガーはメンタルが悪いから結果も出せないのだ」というミスジャッジをしてしまう可能性もある。勿論それは正しい判断ではなく、(その判断の意味は)そのようにミスジャッジする人が「典型的な精神論者である」という事実を示すだけであろう。


ところが、上記の考え方がどれだけ「論理的に正しい」としても、生身の人間として納得することは難しい現状もある。中には感情的に(上記の内容に)猛反対される方が居てもおかしくない。


恐らくそういった方は「暗示」や「催眠術」や「呪い」のような反応が、確かにこの世界で実在するのだから、精神論の正しさを示す余地はまだそこに残っている筈だ、とでも言いたいのだろう。


だから精神論を扱うのなら、「メンタル」と「催眠術」の関係についても考えなければならない。


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ゴルフの世界には「催眠術的に」奇妙な話が一杯ある。


最も有名なのは、たった1メートルの短いパットが入らなくなる「イップス」と呼ばれる奇妙な心理的病状である。ゴルフにおける奇病の代表格である「イップス」であるが、これは最上級者のみが罹る病で、とりあえず月1ゴルファーには心配無用の症状との事なので、この議論からは外すことにする。


ここまでの奇病でなくとも、「バンカーがあるから、そこにボールが行かないように注意して下さい」といった否定的なアドバイスは厳禁で、(バンカーを避ける為に)「フェアウェイの少し右側を狙って打って下さい」と、あくまでゴルファーには肯定的なアドバイスを送るべきである、といった心理学風アドバイス論を好むゴルファーは大勢いる。おそらくこれらも厳密に定義すれば、ゴルフにおける「催眠術的な要素」に含まれるだろう。


だが、我々人間が抱えているあらゆる物事・価値観を考えるにあたり、何が「催眠術」で「洗脳」で「暗示」であると区別されるのだろうか?


例えば「ストレス」について考えてみると、よくビールを飲む時に「喉越しがいい」とかいった主観的な表現のひとつとして、普段から私たちは「ストレス」という言葉を気兼ねなく使っているのである。そうやって世間的によく使う「ストレス」という言葉でさえ、厳密に考えると、疑問が生じてしまう。


おそらく著者が感じる疑問(=違和感)の正体は、「ストレスなんて本当にあるのか?」といった問い掛けに近いものであろう。


つまりこれは「サンタクロースの実在性」を疑るような話という訳である。


もちろん「ストレス」は世間一般で認められ、医学的にも使われている言葉みたいだから、現時点でその存在を疑るのは「アポロの月面着陸は真っ赤な嘘だ!」といった陰謀論的な話を信じてしまう中二病の妄想だと思われて終わるのがオチである。


ところでこの世間的に使われている「ストレス」は、おおよそ次のようなものである。


「(主に)大人が社会に出て仕事をすると、心身にそれは少しずつ蓄積されて、最終的に満タン?みたいになるとその人の心身は病魔に侵されてしまう。そのストレスが「毎日少量をちょっとずつ」ではなく、「一度に過度の量」を受けるようだと、深刻な場合、急性ストレス障害(ASD)という重い容態になる。」


まあこれらのイメージが人々に根付いたのは(著者自身の経験から照らし出すと)様々なTVニュースや番組、ネットや映画、漫画アニメなどからの情報を蓄積し、総合的に抽出された結果(イメージ)であるものと推測される。


映画「マトリックス」では、世界中の人間は脊髄に埋め込まれたインターフェイスを通して、AIがプログラムで構成したバーチャル・リアリティの世界の中で生活している、といったSF世界を描いていた。(※名作中の名作なので、ご存知ない方は是非レンタルしてでもご覧頂くことを推奨します)


その映画で「マトリックス」と呼ぶバーチャルリアルな世界で、人間の戦士たちはAIプログラムによって出現する仮想の敵(=エージェント)と戦うのだが、もし彼ら人間側が(彼ら自身の)脳内で再現されるバーチャルリアルな世界の中で敵に破れ、死んでしまうと、インターフェイスで繋がっている実在の身体も、物理的な攻撃を受けていないにも関わらず、実際に命を失ってしまうのである。


改めて考えてみると、これはかなり奇妙な設定である。


だが、これだけまか不思議な設定であるにも関わらず、映画の中で妙な説得力を持ってその現象のことが語られ、(著者も含めた)観客たちはそれを自然に受け入れ、映画に感情移入し続けていたのである。


普通、ゲーム世界の中で死んでも実在の肉体が命を失う事はありえない。だがマトリックスの映画では、脳内の中の自分が死ぬと、実在する本物の自分も命を奪われてしまう。そんなムチャな設定を、映画を見ている観客の誰もが素直に納得してしまったという部分に、改めて考えてみると違和感を感じずにはいられないのは何故だろうか?


つまり、それだけ人の心を病ませる「ストレス」の攻撃性・毒性が強いものであるだと、誰もが信じている価値観がベースにあって、あの映画は成立していた訳である。


もしあのシーンで「ちょっとあれは嘘っぽいな・・」といった感じで観客がシラケてしまったら、恐らく映画はB級扱いを受けて、あそこまでのヒット作にはならなかっただろう。


このマトリックスの設定の「嘘っぽさ」と指摘すると、著者の感じている「ストレス」の実在性に違和感を感じることを少しだけ理解して貰えるかもしれない。この違和感の正体は「心が強いダメージを受けると、人は本当に死んでしまうような事はありえるのだろうか?」といった疑問でもある訳だ。


勿論こんなことを書けば大きな反論があるだろう。実際に重いストレス障害に悩まされている人々が居るのだから、本当はこんな事を書くだけでもタブーなのだろう。


だが著者の指摘は少し違っていて、ストレスが存在しないと単純に言っている訳ではない。簡単に言葉で説明すると、「人はストレスを受けると本当に死ぬこともあるのだ、と信じているなら、確かにそう信じている人は過度のストレスで死ぬ可能性がありうるだろう」という、いわば洗脳的な意味での仕掛けを疑っている、という事になる。


ここで「自爆テロを越す心理」についての解析を加えると、理解が進むのかもしれない。


自爆テロをする人々は、おそらく上記とは真逆の洗脳教育を受けているのであろう。その内容は次のようなものである。


「聖戦として自爆による敵を道連れにした死を迎えれば、その者はあの世で永遠の幸せを手に入れられる」


これを本気で信じている人がいるとしたら、その人は「自爆テロで死ぬ寸前」でさえ、真に幸福であると感じてしまう可能性がある訳だ。


例えばこれとは真逆に「残業が150時間を越えると過労死ラインを超える」と信じ込まされた人々は、残業が本当に150時間を越えると過労死する危険が出てしまう訳である。


これをさらに逆手にとって(ちょっとお笑いだが)残業が200時間を越えると体が頑強に鍛えれられ、その人は200歳まで寿命が延びる可能性が高いのだと信じ込まされた人は、本当に200時間残業して長生きしてしまう、といった笑い話的結論だってありうるのかもしれない。


(これは本当に笑い話としてだが、マスターベーションを自主規制した男が、それを30年も続ければ天使になれる、と本気で書いているようなネットお笑い記事を見たことがある。まあこれはさすがに笑い話なのだが・・・)


つまり、「ストレスがよくない」という意味での急性ストレス障害(ASD)のような症状は実在しているのだから、確かにそれは事実である。


だが、「その事実とは一体何か?」という謎解きを考えると、メンタルの本質は「そのように信じた人にとっての真実に過ぎない」という理屈にもなるので、だとしたらこれは正真正銘の「精神論者」の考えとイコールになってしまうのではないか?という


まあミイラ取りがミイラになったという、オチが見えてきた様子である。


「イップスがあると信じるなら、イップスはあるのでしょう。」と書いてしまえば終わりのオチである。


---え!? じゃあ著者は何を信じているのかって?


著者が信じるのは「論理」と「定義」と「物理」である。(ずっとそれをブログに書いてますがな!)
(続く)

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