「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(5)

(前の続き)


箸の持ち方が悪かろうが、目的は「目の前の食べ物を食べること」である。


食事の際、見た目が綺麗な服装とか仕草とかマナーとかを格好良く決めたい気持ちは分からなくもない。金持ちの道楽で、持て余す暇と財をそこに投じられるというなら好きにすれば良いだろう。(金持ちの道楽が支えている世界も世の中には沢山あるみたいだから。)


ただし、私たち日本人が持ち慣れた箸を使って景気よく食べるときの仕草は、それなりの美しさがあるかもしれないが、金持ちの道楽でそれを綺麗な形とやらに矯正し、教科書的にマナーの良いとされる使い方とかで食べようとしたら、どうしても不慣れでぎこちなく不自然な感じが拭い去れなくなるだろう。(著者的にはそっちの方がカッコ悪いとさえ感じることがある)


勿論それだって1000時間以上の経験を積めば、自然に扱えるようになるかもしれないが、幼い頃からスプーンとフォークを使っている欧米の文化圏で育ったネイティブらのように扱えないだろう。


ところで、何故か日本国内のレストランでさえ、日本人が不慣れなナイフとフォークを使うのを強制されるケースがしばしばあるが、これなども箸を使うサービスを追求すべきだと著者は考えるのである。


既に国内のファミレスなどで、ステーキやハンバーグのようなメニューでも箸が選べるサービスが普及してはいるが、問題はそれだけでは済まされない。箸を選択したがる客の半数はパンではなくライスを選ぶ筈で、だったら(箸の場合は)平たいお皿ではなく、手に持てるお茶碗に(ライスを)入れるべきである。細かい注文だと思うだろうが、ここは譲れない(笑)。


平たい皿に盛られたライスを手にとって食べる姿は誰にとっても醜い筈で、そうやって客に醜い姿をさせても平気なサービス業の経営者は一体考えているのだろう?と著者は憤りすら感じるときがある。


逆に外国人観光客に対しては、彼らが慣れているフォークやナイフやスプーンではなく、箸と茶碗で和食メニューを出す場合があると思うが、それだってある意味モラハラかもしれない。たとえ蕎麦やうどんのようなメニューでも、外国人観光客に対してはフォークや大きめのスプーンを用意し、食器も大きめの器に変えてあげる選択ができる方が良いに決まっているのではないか?


著者が味噌汁を飲む場合、お椀に入れて箸で食べるのと、スープ皿に入れてスプーンで飲むのとでは、微妙に味の違い出る気がするが、普段食べ慣れないポトフなどの料理なら、スープ皿に入れて箸で食べるても殆ど抵抗を感じない。むしろスプーンやフォークを使うより箸の方が美味しく感じるような気もする。


欧米の文化圏の外国人なら逆かもしれない。つまり味噌汁なら、お椀と箸ではなく、スープ皿に入れてスプーンを使ってもらう方が、彼らには美味しく感じられるのかもしれない訳だ。なんだかややこしいと感じるかもしれないが、目的はシンプルである。


ただ目の前の食べ物を美味しく食べるだけなのだが・・・


え?! ゴルフと関係ない話に脱線しまくっているって?


そうかなあ?(著者はずっとゴルフの話をしているつもりだけど・・・)


とりあえず英会話の話に戻ると、、英語話者は英語だけを使って、日本人は日本語だけを使って、コミュニケーションを取るようなシステムを構築するのが、今のところ最も効率的で、かつ本質的な会話システムになるだろうという著者の提言は、しつこい位に伝わったのではないかと思う。


会話の目的は、コミュニケーションを成立させることなのだから。


目の前の料理を食べる場合は、日本人なら箸とお茶碗とお椀を、欧米の文化圏の人ならスプーンやフォークを使って食べる方が良い訳だ。


(話はムチャクチャ簡単ではないか?)


では、これと同じように考えた場合、ゴルフならどうするだろう?と問うてみれば良い訳だが、ゴルフの場合は「目的」についての定義が少々難しくなる。そこが他の競技とゴルフとでは少し勝手が違うから、ゴルフは難しいと言われるのだろう。


(続く)

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