「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフショットの方向合わせ(10)

(前の続き)

前回の話で、本格的なデッサンの技法で使用される「はかり棒」を紹介した。


著者が学生時代にデッサンの講師から配られた「はかり棒」は、長さ10センチ程度の短い針金の切れ端だった。おそらく教師自身が手頃な太さの針金を切断して、生徒の数だけ手作りされたものが配られたのだ。


細長い絵筆を代用する画家のイメージも浮かぶが、はかり棒は正式な製品を購入する必要はまったく無い。鉛筆だとちょっと太いかもしれないが、家の中にある手頃な細長い棒なら、何でもOKだ。


条件があるとすれば長さだけで、10~15センチ程度の「手の平サイズ」が妥当だ。それより長くなると「パース理論」の問題が浮上するから、やはり短めにするのが無難だろう。10センチ以下のはかり棒を使う場合、パース理論による空間の湾曲を無視して、必要な補助線を全て直線だけで構成しても大丈夫だという利点があるからだ。


とはいえ、ゴルフにおける目標とボールの位置関係は、10センチ幅の「はかり棒」のサイズ内にとても納まり切れない筈だ(例外的に、カップまで残り30センチ足らずのパットなら、その範囲内に収まるだろう)。


よって、これから説明する専門的なデッサン技術を「ゴルフショットの方向合わせ」の技術として、そのまま応用的に使えるといった「万能の技術」をぶち上げる訳ではないことは、予め留意して読み進めて頂きたい。


まず「パース理論」による空間の湾曲について、補足的な説明をしておこう。



これは以前出したことがある「線路の写真」だから、見覚えがある人も居るだろう。この写真を見る限り、こういった安易に確認できる「1点透視図」のようなパース構成なら、全て製図のような直線で作図することもできそうなものだが、そのような単純なパース構成だけでは、人の視野内に起きているパース構成を全て説明し切ることは不可能である。


著者はこの問題を(以前ブログのどこかで)下の図を使って問い掛けしていた。



上の図のように、横長のパイプの中からパイプの内部構造を覗くと、一体どのように見えるだろうか?といった問いだった筈だが(さすがに覚えている人は皆無だろうか?)、その際、著者はその答えを明かさず、今までずっと放置していた(笑)。


それを今頃になって「答え」を明かそうとするなら、次のような話になるだろう。


もしパイプの問いを1点透視図のような「製図的な直線」で片付けようとすると、次の図のような「異常な空間」になってしまう事態に遭遇することになるのだ。


【1点透視図で左右2つの消失点を直線で繋いだイメージ図】


詳しく説明すると、パイプの延長した先を見ると、線路写真の1点透視図のような「消失点」がひとつだけ設定されるのだが、その点から線路を直線的に手前側に引き伸ばすと、その反対側の先に、もうひとつ別の「消失点」を設けなければならなくなるのだ。


その左右に設けられる2つの消失点をそれぞれ直線だけで繋いでしまうと、上の図のような異常な空間構成になってしまう事態に陥る訳だ。


つまりこの図の異様さが示すものは、1点透視図を直線だけで構成する安易なパース構成では、視野内のパース現象を全て説明し切ることが適わず、必ず論理破綻するものと見なさねばならないという事なのだ。


よってこの問題を正しく解き明かそうとするなら、パースによって構成されるあらゆる「純直線的なもの」を、全て「曲線」として扱う必要があるといった極論に達することになる。


線路の写真のように、私たちの目には「直線」にしか見えないようなものであっても、パース理論的な解釈では全て「曲線」として扱うのが正解なのだ。


ということは、10センチ未満の「はかり棒」を使った、ごく小さな視野の範囲内の出来事であっても、厳密に言うなら、全て「曲線の一部」であるといった認識が正しくなるのである。


だが、10センチ未満のはかり棒で対象物を観察する場合、パースによる直線が湾曲するような現象を発見することは不可能である、という見識もまた別に正しいのである。


実際、私たちは目の前のものを詳しく観察しようとする際、直線が湾曲するシーンを見たことがない筈なのだ。


例えば、広角レンズを使って写真を撮影した場合、パースによる直線の湾曲する率はかなり強められるから、そのような写真を見ると(素人的にも)直線はパースによって湾曲するものであると、意識することが出来るだろう。


だが私たち自身の目で、直に物事を観察する場合、広角レンズのような空間の歪みを意識することは出来ない。たとえ湾曲している気配のようなものを察知できたとしても、いざその部分に視線を移すと、その場所は、やはり直線だけで構成されている状態であるようにしか見えない。


1点透視図法のような現象なら、私たちは直にその現象を認めることが出来るのだが、その構成内容は、「直線的な装い」としてしか、私たちの視野に現れない。


目に見えないからといって、パース理論がかき消された訳ではない。2メートル近い直線を、「純直線的なもの」として意識するような行為の先には、目に見えない大きな弊害が生じる宿命にある訳だ。


だが、話を戻して、視野角4度未満の、10センチ以下のはかり棒を使った先にある物事は、全て直線として認識しても構わないというのも事実なのである。



この視野角4度未満だけに使用可能とされるルールこそが、はかり棒の扱い方の第一の法則であると、とりあえず説明しておこう。


(続く)

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