「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフショットの方向合わせ(8)

(前の続き)

かなり昔に観たNHKの番組か何かだったと思うが、江戸時代に日本の精巧な地図を作った伊能忠敬の再現ドラマがあって、伊能忠敬が星の位置を道具で測定する姿があったことを覚えている。


※参照リンク先

https://cardiac.exblog.jp/10709424/


地図の測量だから、真っ先に北極星の位置を確認しているのかなあと思っていたが、ググッみると定かではない(伊能忠敬の時代では、まだ絶対的な北の方位を示す北極星の存在が知られていなかったかもしれない)。


だから実際に伊能忠敬が行ったやり方とは違っているかもしれないが、北極星の位置を確認することで無論北の方位が分かるのだが、それだけでなくその観測地点の緯度も測ることが論理的に可能だと言えるのだ。


まず復習しておくと、ご存知の通り北極星は地球が自転する回転軸の、直線延長上の方角に輝く星である。北極星以外の星は自転によって位置が回転してしまうから、絶対的な方位を知る手掛かりになりにくいが、北極星は自転によって位置がほとんどズレないので、絶対的に方位を知る目印の役割を果たせる訳だ。


ではどうやって緯度を測るのかというと、次のような考え方になる。


北極圏に行くことは容易ではないから次のような思考実験をしてみるしかないが、北極点に人が立った場合、北極星がどの位置に見えるかというと、この答えは案外簡単で、その人の頭の真上に、つまり90度垂直方向に北極星が輝くことになる訳だ。


それより若干難しくなるが、赤道の上に立つ場合、北極星がどの方角に輝くかというと、答えはちょっと意外なもので、真正面の方位となる。少しイメージしいくいかもしれないが、人の目線の高さに延長した先に北極星が輝いていることになる寸法だ。


つまりそれは地平線とほぼ重なる位置になるので、例えばもしその赤道上にある島などの地形が(日本のように)山や住宅に囲まれ、地平線を見ることが適わない地形だとしたら、そのような場所からは北極星を拝むことが適わなくなってしまうだろう(日本国内では北海道などの限られた場所でしか地平線は拝めない)。


勘違いしやすいのは、赤道の位置から北極点がどの方位にあるかという話と混同することで、つまり赤道から北極点の位置は(方位は当然真北となるが)地面の下45度の角度に潜るような、地中の方角に存在することになる訳だ。




これは地球が球体であるからで、上のように図にして整理できれば、それぞれの位置関係の違いが分りやすくなる。


さて伊能忠敬が北極星の位置を測量していたかは定かではないが、自転の影響を受けない北極星の位置を確認することが、その地点の緯度を測定することとイコールであることを説明すると次のような図で整理しなくてはならない。


これは三角形の内角の和が180度であるといった中学生レベルの知識だけで理解できる簡単な原理である。水平に設置した道具で北極星のある位置を分度器で測るだけで、何故かその角度がその地点の緯度と同じになるという不思議な現象なのだが、こうして図にして整理すれば、その原理が素朴に理解できるだろう。


何故これからデッサンの説明をしなければならないというのに、伊能忠敬時代の地図測量の話に反れてしまったのかというと、このような素朴な測量技術はそのままデッサン技術の原理として応用できる話であるからだ。


というのは、赤道付近では北極星の方角が水平方向にあるなどの状態が、一見するだけではちょっと理解できないように、普段私たちが抱く方向感覚というものは案外使えないものなのだという、実態をまず理解して頂きたいと思うのだ。


例えば「水平」という角度についても、普段の私たちの生活の中であまり理解されていないものなのである。


ちょうど今ホットコーヒーを入れたところなので、それを3枚の写真に撮ってみよう。




これら3枚の写真には、それぞれカップの中のコーヒーが映っている。コーヒーの水面が何を意味するのかというと、当然「水平」というものを現していると誰でも理解できるだろう。


だが、3枚の写真に写っている「疑う余地の無い水平な面」を観察すると、3枚それぞれがまったく違う角度の面として、私たちにその趣の違いを見せていることに気が付く筈だ。


それぞれ3枚の写真の中にあるコーヒーの水面は、私たちに全く違う角度として、その表情を見せている。


一見すると当たり前のことなのだが、よくよく考えると謎めいていて混乱してしまう、この素朴な現実の数々を、一体どのように整理して理解すれば良いのかを、正確に答える方法論こそが「デッサンの技巧」の本質であるという訳だ。


(続く)

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