「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフショットの方向合わせ(4)

(前の続き)

ゴルフショットの方向合わせに「重力方向を察知する感覚」が大きく関わると言われても、あまりピンと来ないかもしれないが、それは当然かもしれない。


現代人の多くは文明の発達した街中での生活に慣れきっている為、多くの時間を精度の高い水平な床と垂直な柱や壁で囲まれた建物の中で生活している。だから重力方向を察知する切実な機会にはあまり恵まれない。


例えば小学生が体育の授業で真っ直ぐに立つことを求められても、その土台となる学校のグランドや体育館の床は精度の高い水平なつくりになっているので、子供たちは大雑把な感覚で立つ習慣を身に付けてしまうという訳だ。


もしこれがデコボコしたキツイ斜面の上で、ちょっとでもバランスを崩すと下まで転落する危険な場所だったら、子供たちもかなり神経を研ぎ澄ました感覚で立つ習慣を身に付けるのだろうが、近代的なスポーツ競技ではそれとは逆の、つまり「より精度の高い建築技術」でグランドや体育館の床を作ることで、その上で行う様々な競技の記録を進歩させようとしている訳である。


素材革命などによる最先端技術で作られたグランドの上で、短距離走などのタイムは年々更新され続けているが、もちろん陸上選手たちの運動技術や能力値も、より革新的な進歩を遂げ続けているに違いない筈だ。


ところが、これこそが著者が指摘する「重力方向を察知する能力」を衰えさせている現状を物語っているのである。(仮説的に。)


例えば、高い屋根や塀の上を平然と歩く野良猫の姿を見ると、近代的な文明生活に慣れきっている私たち人間は、彼ら野生動物の生態にただ驚くしかない。崖のキツイ斜面の、ホンの少しの出っ張りに4つ足を立てて移動する鹿の姿を見ても、近代的なスポーツ競技で培われる身体感覚とは明らかに違った、野生の凄みのようなものを感じてしまう。


だが、考えてみれば私たち人間だって(野良猫には程遠いまでも)デコボコ斜面だらけの厳しい自然環境下に適応できる身体を生まれ持っている筈だ。本当なら、彼ら野生の生態と似たような厳しい環境にも適応できる可能性を秘めているという訳だ。


だとしたら、私たち現代人はそうした野生的な身体能力を発揮させることなく、成長して大人になっているという仮説も成り立つ訳だ。


私たち人間がこの世に生を受けて、まず始めに水平な床や地面の上にしか接しない環境で幼年期を過す。さらに学生の期間も水平な地面や床の上で行う運動能力だけを研ぎ澄ませる機会に恵まれてしまうので、いよいよ野生の本質的な身体感覚を発揮しないまま、最後には衰えさせる事態にまで陥ってしまう。


そういった近代的なスポーツ競技で培った運動センスだけを利用してゴルフ競技に挑むと、必ずと言っても良いぐらい「方向性」に悩むというのが、著者の仮説である。


ここで語られる運動センスには明らかな違いがあって、近代的なスポーツ環境で発達した「水平な地面の上での運動センス」と、野良猫のように、驚異的なバランス感覚で高い屋根や塀を平気に歩いたりジャンプしたりするような「野生的な身体感覚」の2種類に分けられるという訳だ。


一般的に私たち現代人が関わるスポーツ競技では、前者の「水平な地面の上で行う運動センス」だけに絞って語られることが多い。


そして(恐らくだが)そういった水平な床の上の運動センスしか知らない競技経験者に対し、「我々現代人は重力方向を察知する感覚がすっかり衰えてしまっている」と説明しても、何のことだがピンと来ない反応しか返ってこないという結果が予測されてしまうのだ。


だから、野球経験が豊富でこの話にピンと来ないタイプのゴルファーが典型的にスライスショットばかりを打っていても、そのような現状に対して「貴方の垂直だと感じている方向がズレているかもしれませんよ」と指摘したとしても、おそらく「ええ?ちゃんと垂直方向に打っていますよ!」といった、抜けた反応しか返ってこない筈だ(そして何度でもスライスのミスショットを続ける)。


でもそれは、前の「ゴルフショットの方向合わせ(3)」で紹介した養老天命反転地で著者が経験した、水槽の中の水面が斜めに傾いているようにしか見えないような状況に陥っても、自分の感覚を正しいものだと信じて疑わないような反応の仕方でしかない。


もちろんその事態は、水槽の中の水面こそが「真に水平な面」を現しているのだと考え、自分の重力を察知する感覚の方が狂っているのだと、理解するのが正しいに決まっている。


もし(彼が)間違った考え方を選んで、その上で世にある「あらゆるスライスショットを直す処方箋」を数多く試したとしても、それらは徒労に終わるだろうというオチが、既に見えてしまっていると言ったほうが無難だろう。


もちろん、フックショットに悩むのも同じである。


(続く)

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