「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフショットの方向合わせ(2)

(続き)
イギリスで発祥した歴史的経緯を考慮しても、黎明期のゴルフスイングは地面を這うような低いライナー性のゴロを打つ方向に進化の道を歩んだのは明らかだ。よって当時のスイングフォームはアイスホッケーや野球のバッティングのように、目標に正対する意識で構えていた筈である。


ところが現代のゴルフスイング理論では、ゴルファーは目標に対して完全に横向きの構え(アドレス)をすることが普通になってしまっている。


目標に正対しないアドレスの形へと進化した為に、ゴルフ競技の難易度は他のスポーツより格段に上がった可能性は否定できないだろう。これはゴルフ経験の無い人にちょっと分かりにくいかもしれないが、弓矢を使って標的を射ることをイメージして貰えたら理解できるかもしれない。


弓矢で矢を射る場合、目標の的を正視しながら矢を引いて狙いを絞ろうと集中する。ピストルやライフルの構えもこれと同じで、目標を睨むように狙いを定めて銃を構えるものである。


もしこれが(ゴルフと同じに)矢を射る者が目標の90度真横を向いたままで矢を放つとなると、かなり射的が難しくなるだろう。



弓矢で真横を狙うような難しさ・・・


あるいは、ライフル銃で標的を狙うスナイパーが、標的の90度右側を見ながら100メートル先にある小さな的に弾丸を当てるのを想像しても良い。


ゴルフ競技はそのように真横を向く難しい構え方で目標を狙う形へと進化の道を歩んでしまった。


そうなった理由は2つ考えられる。


1つ目は、ゴルフ競技が他のあらゆるスポーツに比べ、道具の進化が著しかったことだ。


ここ百年間の歴史だけを考えてみても、ゴルフで使う道具には「ゴルフの競技性を根底から覆すような革新的な技術開発」の連続した歴史の積み重ねであった訳だから、この歴史あるスポーツの「モダンな姿」を守る為には、使う道具に「目標の真横を見ながらでしか打てない」ような厳密な規制を設ける必要があったのだ。


そのような道具の規制ルール化が進んだ為に、ゴルフの道具がゴルファーに真横を向くことを強いている格好になっているという訳だ。


2つ目はそういった道具の進化に伴い、地面スレスレの打球で転がしメインのゴルフスタイルから、空高くボールが舞い上がる空中戦が主となる時代になって、さらに飛距離も大きく伸びたことが挙げられるだろう。空中に飛んだ打球の飛距離(=キャリー)が伸びるということは、ゴルフスイングの僅かなズレが打球を大きく曲げる「大打撃のミスショット」となる危険性を増やす要因に繋がりやすくなるので、あらゆるゴルファーは(より遠くへ飛び出す自分の打球に酔いしれるのと同時に)大打撃のミスショットを絶えず恐れるようになった。


打球が曲がることに怯えるゴルファーの不安な心理は、スイングフォームにも大きな影響を及ぼした。


プロアマ問わず、実際の打球の行方と無関係である筈の「背骨が曲がっている」「スタンスの向きがズレている」「握り方がズレている」「アドレスで両肩・腰・両膝のラインがスクエアでない」「フォームが左右対称じゃない」といった、本質的な因果関係が認められない現象にまで「真っ直ぐ」のイメージを求め始めたのだ。


もちろん、ボールに直接コンタクトするクラブフェイスの向きが目標方向を正しく向いている方が良いことは間違いないだろう。その事象の因果関係は物理的な証明も可能な筈である、が、それ以外のあらゆる要因(両肩のライン等)は、それで打球が曲がってしまう証明が可能なほど、適切な因果関係があるとは言い切れないものばかりだ。


ゴルフスイングがそのように物理的証明が不可能な事象ばかり並べようと進化した原因は、「受験生が大学試験の前日にトンカツを食べようとするのと同じ心理」であると著者は考えている。


実際はパース理論を考慮に入れると、そのように両肩のラインを「直線」として認識するだけで、ゴルフには大きな弊害が生じて、特にそれは方向性に問題を及ぼす危険性が高いものと指摘する立場を著者は取っている(だから絶対に止めたほうが良い)。


それでは、パース理論的に問題のある直線のイメージを並べたがる「不安な心理」がゴルフスイングに大きな悪影響を及ぼす危険性を指摘する著者自身は、具体的にどのような方向取りをしているのかというと、、


それは次回に・・(続く)

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