「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフショットの方向合わせ(3)

(続き)
一般的にゴルフスイングの構えでは、左右の足を直線で結んだラインや、両肩を結んだラインなどが目標を正確に指示するのが正しいと教えるものが多い。


ベン・ホーガン著の「モダンゴルフ」では、ゴルフクラブの番手によってスタンスの方向が変化するもののように説明されている。例えばドライバーなら両足のスタンス幅をかなり広くとって、その向きは目標のかなり右側を向くようにセットするものと図で示している訳だ。


これは現代のスイング理論からすれば「クローズド・スタンス」という癖の強い型とされるものだ。(現代ではスタンス・ラインが目標を正しく向いている「スクエア・スタンス」を教えるのが一般的になっているからだ)


モダンゴルフではドライバーに限らず、クラブの番手ごとにバラバラのスタンス幅と方向が設定されている。おそらくベン・ホーガンは両足のスタンス・ラインの方向や幅をそれほど気にするタイプでなかったのだろう(彼は右足の向きを目標に対し、直角にセットすることにはかなり拘っていた)。


著者の場合は、スタンス・ラインや両肩の方向などをまったく気にせずに構えるようにしている。では何を気にするのかというと、物理的に大事な要素にだけ留意するようにしている。


(それでは、ボールを真っ直ぐ飛ばす為に留意すべき物理的な事項とは何か?)


第一に留意するべきことは「精密な重力方向の察知」である。


その次にやるべきことは、そのように察知した重力方向に対するクラブフェイスの向きである。そして、その角度を微調整することである。


「重力方向の察知??」と聞きなれない意味不明な言葉がまた出てきたと思われているかもしれない。(このブログではそういう新語が次々飛び出すのだから仕方がない)


人の重力方向を察知する感覚について話すなら、岐阜県にある名神高速・養老SAにほど近い「養老天命反転地」というテーマパークについて語らねばならない。


行ったことがある人には、これから著者が説明する内容を実感をもって理解して貰えるかもしれないが、岐阜県の遠方に住んでいるなどの理由で、とてもそこまで出向けない大多数の方々に向けて、これから言葉だけでこの場所の何たるかの説明を試みることにする。


「養老天命反転地」の詳細についてはウィキペディアを参照して貰えれば良い(以上終わり・笑)。だが、ここで重要としたいのは、この施設で実感される「人の重力方向を察知する感覚の危うさ」である。


(ウィキペディアにもあるように)「養老天命反転地」には、建物の柱や壁、床などを意図的にメチャクチャな角度になるよう設計されているものが多い。


もちろんそれには色々な思惑があって、人がそのいびつな角度で建設された歪んだ建物の中に入ると、私たちが日頃実感している(重力方向などの)常識的な感覚が、実際どれだけ狂っていたのかということを思い知らされる、巧妙な仕掛けになっているのだ。


決定的にそれを実感するのは(名前は忘れたが)ある破壊的に歪んだ建造物の部屋の中にある「水を張った水槽」である。水槽の中の水はもちろん本物の水なのだが、こともあろうことにその水面が「斜めに傾いている」ようにしか見えない!!


実際に見た私の感想では、どうにもこうにも、何度見返して目をこすってみても、その水槽に張られた水面が斜めに傾いているようにしか見えなくて、驚愕してしまったというものだった。


きっとカルチャーショックとはこのような経験を指して言うのだろう。


もちろん「養老天命反転地」の場所だけ特異な重力が働いて、あらゆるもの全てが斜めに傾いている訳ではない。だからその水槽の中の水面が示す角度こそが「真に正しい水平の角度」であって、その水面の角度に対し直角の方向に重力が働いている筈だ。


よって傾いているのは「水槽の中の水面」ではなくて、それを傾いているものと見なしてしまう私たち人間の(常識的な)感覚の方である。


つまり私たちが普段街中で感じている「垂直」という重力感覚は、建築技術の発達によって高度に精密な建造が施されている建物の柱や壁、床の設置角度などに大きく由来しているという事だ。


「養老天命反転地」に出向くと、私たちがそういった精密に建てられている建造物に取り囲まれて生活している中で、本来生まれ持っている筈の「重力方向を精密に察知する能力」をことごとく鈍化させ、減退させてしまっている現実を思い知るのだ。


街中には上下方向を察知するのに頼る建物などの建造物で満ち溢れている。だから、私たちは車や電車などを使うことによって脚力や体力をことごとく減退させてしまっているのと同じように、重力感覚までもが衰退して弱くなってしまっているのだろう。


それでは何故ゴルフでは、この重力方向の感覚が発揮されず、歪んでしまうとマズイのだろうか?


例えば弓矢を的に当てることを考えてみて欲しい。


弓矢で的を射る場合、射手は矢の刃先を目標に向けるように狙う訳ではない。重力によって、放たれた矢は地面に落ちるように放物線を描くからだ。


よって射手は矢の刃先を標的の上部に向けて狙いを定めるのである。標的の上部に向けて放たれた矢は、放物線を描くように(重力に引かれて)標的に向う軌道を描くので、あるいは的を見事射抜くことに成功するという訳だ。


これがもし、標的の上部、つまり正確な重力方向より「やや斜め」に向って矢を放ったとしたらどうなるか?というと、放たれた矢は斜め方向に歪んだ放物線を描くことになり、もちろん的を大きく外してしまう結果に到るだろう。


例えばこれが斜め右側にズレているのなら、ゴルフで言えば「スライス」と呼ぶミスに繋がるのである。(続く)

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