「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(2)

(前の続き)


前の話で著者は「地面に対してスイングするのが正解」であると大胆に宣言した。宣言した以上、その説明責任を果たさねばならない。大胆な宣言をした著者には、それが「強い義務」のように感じられているからだ。ところが、その説明の文章を思い浮かべていると、目が点になってキョトンとしている読者の顔が思い浮かんだ。


もしこれまでの話にまったく付いて行けていない読者がいたとするなら、そのような読者向けの説明を先にせねばなるまいといった、「強い義務感」が著者の心を揺り動かしているのであろう。という訳で先を早く知りたい読者の方が居たとするなら、申し訳ないがしばし待って頂きたい。


まずは困惑してキョトンとしている読者に対しての説明を始めさせて頂きたいと思う。


さて、困惑している読者がどのような様子なのかは、著者にも大体は想像できている。このブログの技術話が、あまりにも普通のゴルフレッスンなどとは違っているからだと思う。ごく普通の読者がごく普通のゴルフレッスン的な話題をこのブログに期待していたとするなら、おおよそ以下のような感じで困惑してしまうに違いない。


「あの―――・・地面に対してとか、訳分かんないです。それよりゴルフクラブをどうやって握ったらいいか?教えてください。」


あるいは「地面よりも先にターゲットを確認すべきでしょう?」、はたまた「クラブの番手を先に決めなければダメでしょう?」といった感じかもしれない。


通常、ゴルフでは先にターゲットを確認して、これから打ち出すショットに必要な距離を割り出しておく計算が必要である。距離が割り出されたら使えるクラブはせいぜい3本以内に絞れてくる。ゴルファーはその中から最終的に使う最適のクラブを選ばなくてはならない。最終的に選んだその1本を手にして、いよいよゴルファーはスイングを開始するのである。


ところが、そうやってターゲットを確認する前に、必ずゴルファーはボールがある地点の地面の状況をよく確認しなければならない。ボールが置いてある地面のことを専門用語で「ライ」と呼ぶが、この「ライ」の状況によってゴルファーは打ち出せるショットの種類に制限が加わるからである。


(例えば)雑草が生い茂るライを「ラフ」と呼ぶが、そのようなトリッキーなゾーンにボールが隠れるように置かれていると、そこからゴルファーが使えるショットの種類はかなり制限されてしまう。そのようなラフからのショットでは、時に必要な飛距離の半分も出せない可能性もある。飛距離がそれだけ短くなれば、ターゲットの向きも変更を余儀なくされる。ゴルファーがどれだけグリーンに向って打ちたくても、それを我慢して半分の距離近くにあるフェアウェイに向って、ターゲットの方向を30度も右へと傾けなければならない場合もあるのがゴルフである。


故に、クラブの番手選択や打ち出すショットの飛距離計算も、まず先にボールが置かれているライ(地面)の状況を見てからでないと、何も決められないのである。だがこれは何も段取り的に要領が良いから「地面を意識しなさい」と言っている訳ではない。


ターゲットから逆算するように、順序を逆に見積もりを立てるような皮算用でゴルフを組み立てるプロも居ると聞くが、ゴルフ技術としては根本的に間違いを犯していると著者は指摘しているのである。


例えば「あらゆるゴルフスイングはグリップから始まる」という技術体系があるとすれば、大抵の場合、それはベン・ホーガンの「モダンゴルフ」の影響を強く受けた技術体系の系譜であると判断できる。


ベン・ホーガンは歴史的な技術書である「モダンゴルフ」を通じ、ゴルフはグリップから始めるものであるという決定的なメソッドを後の世に残してくれた。


偉大なベン・ホーガンほどのゴルファーならば、なるほどゴルフクラブをグリップした瞬間に、そのクラブをどのようにスイングするのかが、「実感」として沸き起こってしまうに違いないのだろう。


つまり、ベン・ホーガンほどのレベルになると、ショットを打つ前に、選択した番手のクラブをグリップした時点で、既にスイングは彼の体内にハッキリと完成した形で実感されている訳である。


その実感は、これから打ち出す筈のボール弾道の行方さえも、(グリップした瞬間に)既に感覚として感じ取られているに違いないのである。


故にホーガンは、ゴルフクラブをグリップした時点で、その後どのように構え、ショットを打つべきかを、実体験済みの様子で全て知ってしまっている。後はその実感通りの流れに逆らわないように振舞う様子で、あらゆること全てが自然に成されてしまう訳である。


確かにそのような神的なレベルのゴルフが実在することは想像に難くない。


とある達人レベルに達すれば、ゴルフコースの様子をただ感じ取るだけで、次に自分が何をするべきかをハッキリとした実感を伴って感じられて、それをそのまま実行に移せるだけのゴルフをできるようになるのかもしれない。


        ――――だが、ちょっと待って欲しい。


その達人級のゴルフが出来るようになるのに、一体どの程度の頻度でゴルフコースを回らなければならないのだろう? ゴルフクラブを握った瞬間に全てが分かるようなレベルになるのに、月1回のラウンドと週1回程の練習しかできない素人ゴルファーは何十年の歳月をゴルフに費やさねばならないのだろう?(20年?それとも30年?)


古くモダンゴルフにある「Five Lessons of the Modern Fundamentals of Golf 」の5つのレッスンの1番目にある「ゴルフはグリップから始める」という技術体系は、現在のPGAのレッスン体系とも深く関わっているが、その「記憶系」の技術体系は、月1ゴルファー向けに開発された「本質的な技術」を開示している訳ではない。


それでは、月1程度のアベレージゴルファーはまず先に何から始めるべきなのか?


それこそ、今ここで著者が「ゴルフは地面を意識することから始める」と提言する、真新しい技術体系の本質そのものなのである。


例えば、これまでゴルフクラブを一度も握ったことがない初心者ゴルファーが居たとする。


これまでの「記憶系」の教え方では、まず初心者に対してまったく不慣れである奇妙なゴルフグリップの型を教えることから始める。違和感しかない奇妙なグリップで、初心者ゴルファーはひたすら失敗を繰り返しながら、ヨチヨチ歩きのゴルフ人生がスタートするのである。


著者の場合は全く違う道筋を、その初心者ゴルファーに提言する。


「まず、ボールの置かれている地面をよくよく意識しなさい。」


(こんな奇妙なレッスンがあるだろうか?)


(ネタバレだが)この言葉の意味は、その先のグリップもアドレスもバックスイングもトップも、まずその「地面を意識する」ところをスタート地点にしなければ決して前に進めてはならない、といった戒めの意味も封じ込められている。


確かに(地面を意識していないのに)真っ先にグリップさせてしまう方法もあるだろう。それはもしかすると、ゴルフで最もポピュラーな技術体系のメソッドなのかもしれない。


だが、それは達人ベン・ホーガンの歩んだような、何十年もの研鑽を積み上げようとする熱心なゴルファーにだけ通用する道なのかもしれない。もし貴方が月1ゴルファーで、それなりに成功を収めたいのならば、ゴルフを(ホーガンのような達人みたいに)グリップから始めてはならないのかもしれない訳だ。


ゴルフクラブを持つ前に、ターゲットを意識する前に、飛距離を目算する前に、


何よりも前に、まず貴方は(ボールが置かれる)地面の様子を観察しなければならない。


そう。前の話から、既に著者のレッスンはスタートしていたのである。


(続く)

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