「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

「ゴルフの基礎理論」~身体制御の基礎知識~(7)

(前の続き)


前回の話で、パース理論が「瞳」の位置と深い関係があることは分かってきたが、勿論それだけではまだ不十分だ。現時点の情報だけでは、閲覧者に(パース理論に対して)大きな誤解を抱かせしまう可能性の方が高い。


なにより「瞳の位置」と言っても、当人にとって自覚しにくい問題である。そもそも瞳は左右2つあって、どちらの瞳の位置でパースを考えれば良いのかも分からない。


論理的に「瞳の位置」が視野内のパースベクティブを決定付ける要素である事はほぼ間違いないが、そもそも人の視野はカメラなどとは根本的に違うものである。カメラは撮影範囲内の描写を忠実に行う機械に過ぎないが、人の目はもっと恣意的に対象物を捉える能力を備えている。


例えば、強風下の街中をスカート姿の女性が歩いていたら、多くの男性陣の意識はそのはためくスカートの動きに行ってしまう筈だ。


勿論、その女性の下着や素足などが露に見えるチャンスがあるかもしれず、それが男性にとって価値ある被写体であるから、というエロい見解もあるが、もう少し真面目に、男には狩猟本能があって、瞬時的に獲物を察知するレーダーのような能力があるから、という説も耳にしたことがある(確かに、仮に女性の下着が最初から堂々丸見えの状態だと、拍子抜けして、興味が目減りしてしまう傾向はある!)。


とにかく、こうしたチラリズム的に訪れる被写体を捉える男のエロさというか、目線の鋭さは、他に比べようのない恣意的な能力を発揮している瞬間でもあると言える。


特筆すべきは、こうした場面で男の認識能力は、瞬時に被写体のスカート部だけを切り取って、そこだけクローズアップしているかのように捉える傾向に見て取れる。逆にスカート以外のあらゆる対象は真っ白な状態になっていて、男には殆ど認識できなくなっている。


つまり、人間の視覚は(カメラと違って)こういった恣意的な認識能力を発揮し、様々な編集機能がある訳だ。


例えば「赤色のものを意識して下さい」と言われれば、人の目は「赤色サーチ機能」があるかのように、目に映るものの中から赤色の物体だけを検索・識別して意識することも出来てしまう。


赤や黄色は果物が熟した色だから、特に目立って意識しやすいという説明も成り立つかもしれないが、それだけでは説明し切れない部分も沢山ある。


例えば「A地点とB地点の距離を見て取って下さい」と言われたら、その通りに2箇所の距離だけに意識を集中し、その距離を浮き彫りにして感じ取ろうとする能力だって発揮できる。


上空を仰ぎ見て、青い空の部分だけを意識することもできれば、逆に青い空だけを除いた「雲だけ」に意識を集中したり、その雲の「動き」にだけ着目するような、器用な認識の仕方も可能なのである。


好きな異性の顔を見るときに、人の視覚は芸術家気取りになって、やや大げさに被写体の印象を美的に加工して認識する事はよく知られている事実だと思う。


さて、前置きが長くなったが、こういった恣意的な検索・クローズアップ・編纂(加工)などの機能がある人の視覚能力の中で、「パース理論」が関わる能力は一体どの分野の機能なのだろう?


答えは「立体1点座標」の認識能力である。


もう少し言葉を足せば、「立体空間に浮かぶ1点座標の認識能力」となるだろう。


瞳の話に戻ると、人の目は左右で対象物を見るだけでなく、とある1点に左右の目を集中させるような見方もできる。


普段の生活の中で殆ど使用される機会がない能力かもしれないが、目の前の空間を飛ぶ蚊トンボなどを察知した瞬間に発揮されている様子だ。


これについては、次回に詳しく書いていきたいと思う。(続く)

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