「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

「ゴルフの基礎理論」~身体制御の基礎知識~(8)

パース理論はあくまで「人の認識」についての論理である。


パースは「瞳の位置」と「対象物」を直線で結ぶことなのだと、これまでの話でおぼろげに分かってきたかもしれないが、まだまだ釈然としない感じが強く残っていると思う。


感覚的に納得しにくい理由は、これでの著者の研究である程度解明済みだから、今回はそのことについて触れておこうと思う。


※話がだいぶ長くなるので、前編・後編に分けようと思う。(今回は前編だ)


納得しにくい理由のひとつとして、この論理の土台となっている「人の視線」の考え方に問題がある場合が考えられる。


(どういう事かと言うと)私たちが「目の前のものを見る」という現象を物理的に解釈すると、「物体を反射した光が瞳まで届く」という話になる(ここまでなら理解できる筈だ)。


つまり「視線」とは「光そのもの」なのだ。


コンサート会場の演出で使われるレーザー光線などを思い浮かべても、私たちにとって「光」とは、(レーザー光線のように)どこまでも直線的な振る舞いをする性質のものだというイメージがあると思う。


この直線的であり過ぎるイメージが、パース理論を理解しにくいものにしている可能性が考えられる訳だ。


著者の知る限り、レーザー光線などの超・直線的とも言える光の性質を観察しても、それら光の直進性が「パース理論」の原則から特例的に除外される事態にまでは発展していないのである。


「人の認識の上」では光でさえも、パース的に拡大化したり縮小化する変化の中に存在しているという訳だ。


パースの性質について、もっと具体的な実験をしてみようと思う。これは誰にでも気軽にできる実験だから、興味があるなら同じ事を試して貰えればいい。


まずボールペンと30cm位の定規とA4サイズの紙を用意する。


ボールペンのペン先の小さな「点」に両目のピントを合わせるように見つめて欲しい。左右の瞳がそれぞれボールペンの先の「点座標」にピントを合わせることができれば、点の周囲がボヤけしまう感じになる筈だ。


これで「左右の瞳」はボールペンのペン先の小さな「点」と直線的に繋がっている状態だと考えられる。


ボールペンを見つめるその「視線」、すなわち「光」とは、どこまでも直線的に振舞うものだという既成概念があるから、私たちはそのペン先の小さな「点」から瞳に向って、純・直線的に光が届いているようなイメージを持ってしまう。


実際に瞳まで届いている光の軌跡を(レーザー光線のように)探ることは不可能だから、真実として、その光がどのような軌跡を辿って、自分の瞳に届いているかを調べることも原理的に不可能であると思える。


次に、定規を使って紙に30センチほどの直線を(そのボールペンで)引く。さらにその直線と平行な直線をもう1本、間を5センチほど空けて引く。もちろん正確に平行な直線を引く必要がある為、厳密に5センチ幅を定規で測るなどのやり方が良い。


今度はその平行な直線を同じ5センチ幅で仕切るように、何本も直線を引いて欲しい。それによって、紙の上の平行な直線が1辺5センチサイズの正方形に分割された形になるという訳だ。(下の写真のように)


※この写真の紙は、ワードの図形機能で正方形を作って、組み合わせたものをプリントアウトしたものだ。定規を使って手作りしたものより、ずっと正確な図面になっていると思う。


30cm定規は物質的にどこまでも直線的な人工物である。


だからその定規で引いた直線も、物質的に純粋な直線であると断定できる。紙の上に引かれたその直線は、ボールペンのペン先が定規に沿って「直線的な軌跡を描いて書き印したもの」であるとも断定できるだろう。もちろん、紙は平らな板の上に置かれているという条件付きの話になるが。


次にこの紙をテーブルなどの平らな板の上に置いて、次のようなアングルでデジカメ撮影する。



撮影されたデジカメ写真は見ての通り、描かれている正方形の形や大きさにパースによる変化が起きている絵として現れる。一見すると、パースによる影響下にある正方形は、それぞれ大きさや角度が違っているが、全て直線だけで構成されている印象を受けてしまう。


だが、これらの正方形を構成している直線の変化を「パース理論」によって厳密に解析すると、写真の中にある直線は全て弧を描いてカーブしており、純粋に直線的である形を現しているものは1本すら存在していないことになるのだ。


論より証拠、このデジカメ写真の画像データーに、PC上でペイント機能を使った「純粋な直線」を赤色で引いてみるとハッキリする。(下の写真がそれである)



この写真はPCのペイント機能を使って、左端の正方形の1辺に定規を合わせるように赤色の直線を引いてみたものだ。ペイント機能による「純・直線的に引かれた赤色の直線」は、写真の右端の正方形の1辺とまったく接触しない格好になっていることを明らかにしている。


拡大した次の写真を見てもらうと分かりやすくなるだろう。



これは左端の正方形の部分を拡大した写真だ。見ての通り、ペイント機能で引いた赤色の直線はこの左端の正方形の1辺とは完全にリンクしている。



今度は(反対側の)右側の正方形を拡大した写真だ。ご覧のように、PC上で純・直線的に描かれた赤色の直線と、写真の中でパースの影響下にある正方形を構成する直線が、まったく重ならない結果になる事実を示している。


PCのペイント機能を使って写真の上に引かれた赤色の直線は純・直線的なものである。


対してデジカメ(あるいは私たちの瞳)によって正方形を平面上の像に映すように認識している、つまり「写真の中の正方形」を構成する直線群は全てパースによる影響を受けて、「弧」を描いている。


よって写真の上から定規で純・直線的に引かれた赤色の直線は、写真の中の直線群とリンクするように重ならない結果になることを、この写真は示している。


(続く)

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