「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフ語り(4)

「論理的に判断する」というのは、一体どういうことなのでしょうか?


仮に貴方がこれからゴルフを始めるとして、この世に星の数ほど存在するかもしれないゴルフ技術の中で、たったひとつだけ選ばなければならないとしたら、一体何を基準に決めるのでしょうか?


思い付く順に書き出してみましょう。


・肩書き(ハンディキャップ、プロコーチ、競技ゴルフの実績、著名人) 
・知人(先輩、上司、友人、恋人等)
・スコアの良い人
・見た目(ルックスが魅力的な異性)
・スイングの見た目(憧れる綺麗なスイングフォームなのか?)
・著名なゴルフ本


他にも色々あるかもしれませんが、恐らく貴方はこの中の何れかの基準で選択し、ひとつに決める判断を下す筈です。(長年の経験から予測される答えです。)


ただひとつだけ、この中に含まれて居ないものがあります。それは「教わるに値する正しい技術」であるかを査定してから決めるというものです。


それは無理だと誰でも思うでしょう。なにしろゴルフを何も知らない貴方には、これから教わる技術がどれだけ正しいものかを査定するだけ「目」も持ち合わせていない筈だからです。


それでは、次のように質問してみてはいかがでしょう?


(問い)仮に交通事故に遭って下半身に障害が残り、この先車椅子に乗ったままゴルフをするしかない事態に陥ったとしても、そのゴルフ技術は適用可能であるか?


これはとても厳しい質問です。何故なら、巷に溢れるゴルフ技術は(技術というより)「これがこうなっていなければ、貴方は絶対に上手く打てない」といった「条件付け」をゴルファーに強要するものばかりだからです。


ちなみに、このゴルフブログで紹介しているゴルフ技術は、車椅子に座っていても、十分に適用できます。


何が正しいのかを論理的に判断するという、ひとつの方向性を今回は紹介してみました。

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