「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

このゴルフブログの趣旨について(3)

このブログは思想家・東浩紀の文体を真似ることで、その言葉に秘められている哲学的な思考の力を間借りし、一般的なゴルフレッスンでは見る事が叶わないゴルフ技術の違った側面を掘り起こしながら書き進めようとしている「純粋なゴルフ技術」の記録である。


では早速、前の続きを始めよう。


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(前の続き)プロのインストラクターにもそういった「練習あるのみ」といった感情論的なものが関係しているだろうか?


たしかに企業努力として考えれば、そちらの方が都合良い(儲かる)。生活の糧を得る為の仕事としてインストラクター業を考えると、「簡単・格安・最短時間でマスター可能なゴルフ技術」の存在は、それが一旦社会的に広まってしまえば死活問題にも繋がる恐れのある事態だといえる。


ところがゴルフのインストラクター業は、この「簡単・格安・最短時間で良いショットを生み出せます」といった「練習無用」の方向性から逸脱してはならない企業努力の義務が課せられている特殊な職種でもある。


もしその企業努力を怠れば、市場原理の法則で他の競合相手に顧客を奪われてしまう恐れがある。仮にインストラクターが無用にダラダラ引き伸ばすようなレッスンをして、練習生の真なる成長を阻害しようとしたら、(引き伸ばした分だけ儲かるかもしれないが)顧客はやがて逃げてしまうだろう。


一方でPGAのインストラクターが教えるゴルフメソッドの大半は「とある静止状態、あるいは運動状態の感覚を体で覚える」といった方法で全体を構成している。だからスイングする感覚を体で覚える為の「多大な練習量」が成長する為の絶対条件となっている。


この「体で覚える」という部分をさらに解析していく。


例えば、アドレスからバックスイングを始動する体の動き方を「右側に居る人と握手しようする」だけで、その捻転動作のポイントをゴルファーから効果的に引き出せる魔法のようなコーチ法がある。


これは名匠ブッチ・ハーモンが全盛期のグレッグ・ノーマンに伝えたスイングの秘訣のひとつである。当時のゴルフ雑誌に載っているのを読んで筆者は知ったので、年配のゴルファーならご存知の方も多いと思う。


とにかく一旦試してもらえれば分かると思うが、アドレス時のゴルファーが自分の右側に人がいると想像して、その人に対し「握手しよう」と意識するだけで良いのだ。これを実際に試すと、体全体が「とある運動状態」へと劇的に変化する現象が現れる筈だ。


重要なのは、これによって導き出された運動状態が、繰り返し練習によって「体が覚えた動き」を再現したものとは明らかに違う点にある。


ただ「握手しよう」と意識するだけで動き(捻転動作)が発現するのだから、繰り返し練習の積み重ねで練成させたものである筈も無い。一体何が言いたいのかというと、一般的なゴルフレッスンに含まれている技術は、以下2つの要素に分けられるという事だ。


① 「握手しよう」と意識する程度で導き出せる「練習無用の動き」
② 「無数の反復練習で慣れる」ことで達成される動き。


私たちはスポーツする際、反復練習を繰り返して、成功の感覚を体に染込ませようとする。スポーツ上達の道は、それ1本しかないと無意識的に信じているのだ。


長くなったので、今日はここまで。ではまた!

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