「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

たまにはゴルフ以外の話しを(1)

ヨーロッパの国々の多くは日本よりも働く時間がずっと短い。


それらの国全体の仕事量そのものが少なく、総労働時間も日本よりずっと少ない。求人倍率だって日本より悪く、仕事をしていない人の比率、つまり失業率はかなり多いけれど、何故か日本に比べてヨーロッパの人々は、そのように失業している事を気にして「不幸だ」と感じて病んでいるような人は見掛けない様子である。


日本人の感覚からすると、これはかなり不思議な現象ではないだろうか?


むしろ、日本人特有の病的な素因でもあるのかと疑念も湧く位なので、今回はこの事を少し考えてみたいと思う。


(たまにはこういったゴルフから外れた話を書くのも良いだろう。)


ヨーロッパの人々は日本人よりかなり理論的に物事を考える。理論的に考え、より合理的な生活設計や社会設計をする傾向が強いという訳である。


彼らは、生活していく上で何が大切なのかと考えるから、たとえば食生活を支える環境において、価格の市場原理主義を程なく捨てている傾向が強い。そういった文化が根付いていると言った方が良いだろう。


だから食生活を支える店に対し、(日本でありがちな)24H365日無休営業のコンビニ経営的な過剰サービスなどはまったく求めない。そんなヨーロッパの店舗の多くは価格競争とも無縁の様子で、だから彼らは平日の日中だけ働いて、日曜日は絶対に休むのである。


そんな働き方でも市民に対して十分に生活必需品である食品などを売って、社会システムが成り立つことを彼らは実によく理解している。


ヨーロッパの消費者は(24H営業したがる傾向のある日本人と違って)、その不便さに対して不満を感じない価値観が根付いているのだとも言えるが、このことをもう少し深く追求してみたいと思う。


このヨーロッパ的なやり方なら、(日本のような)24H営業のコンビニに比べて人件費は3分の2で済むから、経営も健全化する。だから無謀な価格競争などで互いに消耗戦をやってブラック企業化したり、無意味な新商品開発で消費意欲を駆り立てる過剰で無意味な努力とも無縁でありながら、そういった(無意味な)市場原理に働きかけなくとも、経営の健全化が守られるのだと彼らは理解している。


(彼らは日本人よりもずっと賢いのだろうか?)


もちろん、彼らヨーロッパの人々にとって、日本国内で見聞きする「過労死」は、理解不可能でナンセンスな現象にしか思えないし、そんな彼らは過労を美徳と考える意味すら理解できない筈である。


なにしろどれだけ長期間失業していても、国の社会システムが労働によって健全に保たれているなら、失業者を皆失業保険などで十二分支えられると理解しているので、失業者は自分の置かれている立場を一切気にする事なく、平然と豊かに暮らしていける価値観を彼ら同士で共有しているし、(それを理解した上で)そういった社会保障制度を支える事の有益さを守る「強い意志」だって育っているのである。


何より、ヨーロッパの人々は日本で働く日本人より、労働で受けるストレスがずっと少ない環境で働いている。何故なら、彼らは「仕事をしている人の方が、ただ消費している人よりも偉い」という、よくよく考えてみれば当然の道理である価値観を普通に守っているからである。


「失業者が多い健全な世界」を守っている彼らにとって、仕事をすることは消費者以上の立ち位置を確保する意味を持つ。


だから、(日本国内のように)消費者を過剰に王様扱いし、礼儀作法やCSなどに傾倒し、労働者を過剰なストレス環境に追いやりながら、責任者も馬鹿で愚かな意見を口にするだけのクレーマーを説得する力も持てず、ひたすら逃げっぱなしの腰抜けになるような世界にはならない。


それに比べて、超難解な国家試験を受かった医者が、頭の悪い病人のお馬鹿なクレームに対し、頭を下げる商売価値観を持ち込んでいる異常な環境になっている日本が「かなり変である」と気が付かない日本人はかなり多いのでは無いだろうか?


お馬鹿な消費者クレーマーが怖くて対処できない馬鹿責任者は、自分の部下に礼儀作法ばかりを強要する姿勢へと傾くのだが、労働者は失業するのが怖くて皆イエスマンになり、労働者がストライキする形などでそういった流れを断ち切り、失業者が胸を張れる世界にする意味も理解できないまま、むしろマスコミ等に圧倒されてそれらのストは瓦解し、思考停止のままで諦めの境地に至るのが日本の労働市場の本質であろう。


そうして過労死上等のブラック企業は君臨し続け、失業が怖くてそこで我慢して働くのが美徳とか、そういった人々の価値観が当り前になる国家は維持されていく。


(日本を含めた)先進諸国の真に必要な労働量はかなり少なくなっていて、今後もずっと減る傾向で間違いないのに、日本国内ではブラック企業が上等の世界を保とうと努力し続けている日本の現状は、海外の人々が見れば精神異常者の集団にしか見えないかもしれない。


何から手を付けるのかというと、まず日本の失業率を健全な数値にまで上げる為に、規制を強めて労働時間を短縮する。そしてこれとまったく同時のタイミングで、その政策によって増えるであろう失業者に対し、十二分に豊かな生活が保障されるレベルでの社会保障制度を確立して保障する。


日本の労働者は、この社会を健全な形に戻す為に、(規制を強めて競争原理を弱める政策によって)どれだけ労働時間を減らして、人を減らして、同時に失業者を増やして、その失業者が幸せに安心して暮らせることによって、労働者はもっと強気でストライキなども平然とやれて、消費者よりも働く人の方が偉いという道理に適った「健全な価値観」を共有できるのかという問いを真剣に頭で考えて、一度計算してみるべきである。


さて、これがゴルフスイングの理論にどのように結びつくのかと言うと・・・(笑)

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