「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

いきなり始まるゴルフスイング(14)

(前の続き)
あらゆるゴルファーはゴルフクラブを理想通りに動かそうと苦心するが、その為のあらゆる努力が無に帰すような無残な結果に終わってしまう事は、ゴルフではごく普通に起きている日常の光景だと言える。


この場合の理想は「物理の法則」に関するもので、白黒フィルムが使われていた時代に解明は終わっているもので、現代では「常識」とされて周知されているものに過ぎない。


だから物理の法則といっても、何か特別な、プラズマ現象とかいった小難しい話ではなく、ゴルフで必要とされる物理の法則は(人間を含めた)全ての動植物たちが「その法則の中で生活している」と解釈できる範囲のものに限定される。


だから私たちはそれを「体」で覚えて「知っている」のだとも言えるだろう。


生まれて初めてゴルフをする人の中に、ゴルフクラブの持ち方を左右逆に持つケースはチラホラ見掛けるが、目標に向ってクラブを振り動かす部分を間違える姿はこれまで見たことが無い。目標の反対方向や90度右側に向ってクラブを振ろうとするのは、ボケて笑いを取ろうとするお笑い芸人ぐらいである。


つまり、ゴルフスイングの物理的な運動は、目標に対してクラブを振ろうとする本能的な部分が深く関与する「動き」が核にあるものと推測される。


ここで「推測」といった曖昧な表現を使ったのは、あらゆる運動が主観的なものに過ぎないからだ。


【著者の主観的な感覚】としては、ゴルフスイングによってボールを打ち出す際、体は既にスイングの「核」となる運動現象を発生させる準備をしている。具体的に何処からそういったスイング動作が生じるのかについて、主観的な話ではあるが、これから少し説明していこうと思う。


(なんだかいきなり具体的なゴルフの話しになってきたな、、)


ゴルフスイングは「地面に対して」行う運動である。これは「いきなり始まるゴルフスイング(1)」で最初に定義した内容であるから、詳細を知りたければその話を読み直して頂きたいと思う。


さて、ゴルフ競技ではルール上、ボールは地面の上で完全に静止している状態で打たなければならない。ボールが空中にあったり、僅かにでも転がって動いている状態で打ってしまうと、ペナルティとしての罰打が加算される(2打だったかな?)。


地面は大まかには「平ら」な形状だから、ゴルファーはゴルフクラブを地面スレスレに、そして地面に対して平行に動かす必要に迫られる。


つまり「地面に対して」というのは、「地面に向って」クラブをぶつけるという意味ではない。物理的に考えればゴルフクラブは目標に向って真直ぐに動かしてボールにぶつける方が、より単純で純粋にベターであると言えるからだ。


だが、ボールは地面の上にある為、現実的なゴルフクラブの動きは地面という絶対的に邪魔な存在によって、その動きに「制限」を加えられてしまう訳である。


だからゴルファーは「地面に対してクラブを平行に動かす」必要に迫られるという訳であるが、特に初心者ゴルファーは目標に向って真直ぐクラブを動かそうと本能的に感じるので、それだとスイングの軌道と地面との折り合いが上手くいかなくなるケースが続発して、ミスショットの大きな原因となってしまうだろう。


つまり、ボールを見て真直ぐに振ろうとすると、地面の存在が抜け落ちた軌道のスイングとなるので、現実的に様々な問題が生じてしまうのである。


例えば、ボールだけに集中すると、ゴルファーのスイング軸が必ずブレてしまう。


このブレは精妙でとても気が付きにくいものだ。


意識的に目を瞑って片足だけで立つと、人は案外簡単にバランスを失ってしまうものである。実際にやってもらえれば実感できると思うが、これを逆に目を開けて片足立ちするなら、平然と立っていられるものだとも言える。(これもやってみて欲しい)


つまり人はバランスを保つ際、いかに視界を使って、目の前の対象物に対し、自分の体のブレを精密に補正してバランスを保っているのかという話になるのだが、その見る対象がボールだけとなると、(立っているだけなら問題ないが)ゴルフスイングとしては具合が悪いのである。


最大の理由は、ゴルフ場の地面が必ず傾斜しているからであろう。地面が傾斜していると、平らなのとは微妙に違うバランス感覚が要求されるが、その微妙な狂いを、視界による補正抜きでは上手くやれないのは道理となる。


ボール1点だけを見てその精妙なバランスを補正しようとするのは、(例えると)地面に接する3点で固定しようとする三脚を使ってカメラを固定させるのではなく、1点だけ地面に接する1脚のような道具でカメラを固定するイメージをして貰えたら理解できると思う。


三脚でしっかり固定したカメラなら、カメラを左右に大きく回転させても、その回転軸はブレにくい。だが1点支持の固定でカメラを回転させると、前後左右に回転軸が自在にブレてしまう筈である。


何より「地面に対して平行に動かす」というイメージは、地面そのものを対象にして行われる運動現象であるのだから、それをボールだけ注視するというのは、そもそも上手いとは言えないだろう。


いまここで「スイング軸」という言葉を安易に使っているが、著者の「スイング軸」の定義は体の回転運動そのものではなく、人のバランスの保ち方に伴う主観的な「使い方」みたいなものを指している。


ボールという「点」と地面という「面」への意識の違いで、それは僅かな違いではあるのだが、スイング軸がブレるかどうかは、その部分で決定的な違いが出るものだと著者は厳密に定義している訳だ。


よって著者はブレないスイング軸を構成する条件として「筋力」が直接的に関係するものだとは考えていない。


たとえどれだけ非力な人でも「地面に対して」という意識の中でスイングを行うなら、軸はブレにくいが、逆にボールだけを見ながらだと、筋肉ムキムキでガッチリしている方でもスイング軸は簡単にブレてしまう可能性が極めて高くなるという訳だ。


もちろん、スイング軸のバランスが崩れる最大の要因は「三半規管」の影響が最も大きい。三半規管の使い方によってスイング軸の安定が決定すると言っても過言ではないだろう。


例えば、クルクル回転して目が回ると人は真直ぐ歩くことはもちろん、立っていることも出来なくなる。それだけ三半規管がバランスの要だという事なのだが、話は重要だが、長くなったので続きは次回にしようと思う。


(続く)

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