「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフ技術関連の動画6

先日UPした「ゴルフスイングの答え。」と題した動画で著者は自ら、ごく一般的にスポーツをする際の「練習の積み重ねにより、運動におけるフィーリングを体に染込ませて覚える」という手法とはまったく違う方向で、大胆なゴルフショットの実証実験を行ったつもりである。


一般的なゴルファーは、スイング練習を無数に繰り返し、さらに実戦におけるあらゆる場面場面のショットを全て実体験を通した「経験の蓄積」によって担保しようとする。これはプロアマ問わず、あらゆるゴルファーがそのようにゴルフ技術を練成するのが全うな道であると無意識に信じているという事だと著者は考える。


時にそれらの練習の積み重ねは、思ったような結果を得られず、その敗北感と練習の疲れに酔いしれるナルシズム的な方向へとゴルファー達を誘(いざな)い、その者をゴルフ技術の本質とはまったく別の方向である、(例えば)互いに悩みを語り合う場の機会を得るなど、本質とは別の要素を見出す者は、既に多数派であるとも言い切れるだろう。


著者はそれらを否定するつもりはない。著者はただそれらを「マラソン効果」と呼んで、ゴルファー達を本質的な技術の習得の道から遠ざけてしまう「リスク」があることを指摘しておきたいだけである。


確かに練習量に比例してゴルフは誰でも上手くなるだろう。実戦ラウンドの経験が豊富なゴルファーほどスコアも比例して良くなる傾向は明らかにある筈だ。


だがそれらの現実は、そのようにして上手くなったゴルファーの技術力が本質的に正しいことを証明しない。


むしろそのゴルファーの個人的な練習量や経験の豊富さは、その者の技術が本質的に正しい答えを得ている証明的な方向から(理論的に)遠ざかっている努力行為だとも見なされる(もちろん正しい場合もありうるだろうが)。


例えば、宝くじをより確実に当てる方法を見出す研究をするとして、「全ての宝くじを買い漁る」という方法がより確実な成果を生むことは当たり前である。だが、それは当てる方法の本質的な正しさを意味しない。本質的に言えば「1枚だけ宝くじを選らんで買って、それが見事当たる」という方法を見出せることが、研究における本質的な正しさを現す(証明する)のだと考えねばならない。


故に(厳しい言い方をすれば)分かりやすい肩書きに踊らされる者は、より本質から遠ざかる傾向があると見て取るべきだろう。


前にUPした「ゴルフスイングの答え。」と題した動画は、その意味での証拠としては不十分である事態になっていると著者は気付いた。


動画は全編を大々的に編集していたからだ。元々の素材である動画では、幾度かのミスショットもあったのだが、著者はそれを「改ざん」している。ミスをカットして編集し、「ほら成功しているでしょう?」と見せても、それでは証拠にならない訳だ。


勿論、カットしなければ素材の動画は10分以上もあるから、全て見るのも大変だから、ボールを取りに行く部分などは全てカットした方が(エンタメ的に)良いに決まっているからそうしたのだが、本質の正しさを証明するなら、素材の動画を編纂も加工もせずに、堂々お見せするべきだと、著者は思い立った訳だ。


そこで今回新たに「ゴルフスイングの答え。ノーカット版(改ざん無し)」と題した動画をUPする事にした。見るに耐えないオッサンがちょこまか打つだけの動画をまるごとお見せする意味は、それが「正しさの証拠」となりうる行為であるからだとご理解して頂きたい。


先にお知らせすると、動画の中で決定的なミスショットは2回、小さなミスは1回だけあるので、まあそれを実際に見てチェックして頂ければ幸いである。


また、動画を撮影しているリビングには「電気コタツ」があって、そこに娘が座っていた。撮影に協力してくれて全体的にとても静かにしてくれたのだが、時折コップなどの食器が当たる音がするのはご了承頂きたい。(なにしろ素材そのままなのだから)


それではどうぞ!



ゴルフスイングの答え。ノーカット版(改ざん無し)

×

非ログインユーザーとして返信する