「ゴルフをしない私」から「ゴルフをする未来の私」へ

10年前まで月1ゴルファーだった私も、今では月1~2回練習場に行くだけの「ゴルフをしない人」です。経済的な事情で一旦ゴルフから身を引きつつ、それでも遠い未来で再開するのを夢見ているオヤジは、今の日本に大勢いると思われます。そんなオヤジの、遠い未来に再開される自身のゴルファー像を夢見るブログを作ろうと思います。

ゴルフ語り(8)

「比喩」はとても重要です。


例えば、ゴルフが上手くなりたいと思って様々なスイング理論を勉強し、自分のスイングをもっと良いものにしようと努力している人を見て、私が次のような比喩で表現したとします。


「ベテランのお笑い芸人が自分の周りに愛想笑いの上手い人ばかりを集めて、自分の芸を彼等の愛想笑いで彩って、気分の良い空間をつくろうとしているようなもの」


とても辛らつな比喩ですが、ゴルフを上達しようと日々努力奮闘する人が陥りがちな、本質的な欠陥を指摘する意味として、この比喩はそれなりのメッセージ性を発揮していると思うのです。


「真に優れたお笑いセンス」を磨こうとするなら、自分の周囲に都合の良いリアクションや愛想笑いをする人を集めた場にして、その反応で気分が良くなっている様子なら、恐らくその芸人のセンスは少しずつ錆付いてしまうような気がする筈です。


往々としてゴルフの技術を磨こうとする人も、このベテラン芸人が陥りがちな「愛想笑いをする人を周囲に集める」ような努力をしがちになる訳です。


確かに普通の感覚なら、様々なゴルフスイング理論を勤勉に学んで、それらの知識を少しずつ体で覚えるように蓄え、育てることで、そのゴルファーは最終的に行きたい地まで辿り着けるような気がするものです。


でもそれは、より優れた映画監督になりたいと思った人が(よかれと思って)「映画監督入門」といった教科書的を手に入れ、漁り読むような態度に近いような気がするのです。


「映画監督入門」という本があるかどうか分かりませんが(笑)、そんな本を読んで100点満点の努力や結果を出したとしても、それで映画監督になれるとは、普通思わない筈です。「アイドル歌手入門」といった入門書を100回読んでも、アイドル歌手になれる努力をしているとは言い難いのと同じです。


入門書でなくて学校でも同じです。例えば「映画監督専門学校」や「アイドル養成学園」などといった怪しげな学校に通うのは勿論ですが、同じ様なネーミングの学科を作って生徒集めに必死な私立大学に通うというのも、本質的に同じ結果を招くだけだと思います。


ゴルフスクールに通うと、様々なハイテク機材などで、その人のスイングフォームを解析し、例えばプロゴルファーの教科書的なスイングフォームと比較される訳ですが、結局見た目がどうかという指摘で終わるのがオチなのですね。


勿論、なぜそのようなスイングフォームに直さないとダメなのか、そのコーチの自論を踏まえた理由をそれなりに語ってくれる筈ですし、一応その説明でそれなりの納得も得られるでしょう。


でも、その納得から得られる自信は「愛想笑いをする都合の良い人のリアクションで気分が良い芸人」と同じ構図です。


そんな理論をどれだけ数多く見繕っても、それがその人の「真の実力」と呼べるものとして本番で発揮できるようになれるかというと、結局それは「アイドル入門書を勤勉に読み漁る人」と変わらない結果で終わるのがオチという訳です。


こういった内容をゴルフに熱中な人に、直接ゴルフのことで説明してもダメなのです。


その内容がゴルフのことなら(ゴルフとはまったく関係のない)「映画監督」や「アイドル歌手」、あるいは「ベテランお笑い芸人の衰退する構造」といった内容で、比喩的に説明する方が、ずっと客観的にその意味を把握しやすくなると私は考えます。


だから比喩的な表現はとても重要だと思うのです。


一方でこの比喩的な表現には、とても誤認されやすいと言う欠点があります。


スポーツの世界では「相手を殺す気でやれ」や「反則する気で相手を威圧しろ」といった比喩がよく使われるのかもしれませんが、その比喩が目指した地平は、決して相手を本当に殺したり、反則を犯すことを推奨している訳ではない筈です。ところが、往々としてその手の比喩は誤解されて受け取られてしまう恐れがある訳です。


ゴルフ理論を頭に入れることに躍起になっている人に対して、「映画監督入門の本を読んで映画監督になれるのか?」といった比喩を使って問題点を指摘しても、「いや、俺は映画監督じゃなくて、ゴルフが上手くなりたいだけなんだ」と真顔で答えるお馬鹿な人は、世の中に高い割合で存在している訳です。


あるゴルファーが惨めな結果で自信を失い、世の中にある様々なゴルフ理論を勉強し尽くし、時にそれらを体で実践するなどの経験を積んで、元々あった自信を取り戻せたとします。


でも「その自信」の正体は「愛想笑いを浮かべる人のリアクションを集めて、自分のお笑い芸が凄いのだと自信だけ深めたベテラン芸人の姿」とリンクしていて、実はその自信の正体はフェイク、つまりニセモノの心臓で、本当はガラス製かもしれず、現実の世界で無残にもガシャンと割れてしまうかもしれない訳です。


ゴルフは「ニセモノの実力」で通用する世界ではありませんからね。

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